「虎徹さんが実家に?」
ええ、と短く返すバーナビーの前に、はことりと皿を置いた。
その上に盛られた、今日の夕食である和風のパスタが、ほのかに香ばしく香る。
いただきます、と癖のように言ってから、フォークを手にとって一口食べる。うん、不味くはない、はずだ。
お世辞にも料理が得意な部類ではないと、は自覚している。
だというのに、それでも良いと目の前の(おそらく舌が肥えている)恋人は言って手料理を食べたがるものだから、
夜を共に過ごすときは大抵が食事を作っていた。夜勤のときはインスタント食品で済ませることも多いため料理に気を遣うことはこれまでなかったが、
これはこれで良い機会だと、は納得している。
「そっかあ。じゃあ今はオリエンタルタウンにいるのか…」
「そうみたいですね」
虎徹が実家に帰る理由については、バーナビーもよく知らないというので、が知るすべはない。
彼は実家に母も兄もなにより最愛の娘もいるというし、久々に顔が見たくなったのかもしれない。
もぐ、また一口、はパスタを口に運んだ。もしくは、故郷の味が恋しくなったとか。親しみ深い味を舌の上で転がしながら、は思った。
「も実家はオリエンタルでしたよね」
「元々はね」
自身の実家も、虎徹と同じくオリエンタルタウンにある。ある、というよりはあった、というほうが正しい。
まだ年端もゆかぬ頃に家族揃ってシュテルンビルトに引っ越して、それ以来この街を離れたことはなかった。
ただ、両親の墓だけは、喧噪の街ではなく二人が好きだったのどかなオリエンタルの町にあるけれど。
「帰りたい、とか思ったりします?」
「うーん、結構定期的に行ってるしなあ。あんまり思わないかも」
両親の墓参りには、毎年行っている。とはいえ行っても日帰りなので、長く滞在することはなかったし、特にずっといたいと思うわけではなかった。
(というよりかは、どっちかっていうと、まだ避けてるところがあるのかもしれないけど)
「バニーちゃんは?」
「え?」
「実家。そういやちゃんと訊いたことないなと思って」
「昔からこの街でしたよ。メダイユ地区に」
「へえ」
生粋の都会っ子というやつだ。子ども自体には生まれてくる場所を選べる権利なんてないのだが、やはりそこから差があるものだな、となんとなく思えてしまう。
けれど、全く違う境遇に生まれたにも関わらず、全く違う時期に、お互い似たようなことを経験している。
両親の死。
一人で生きていく力のない子どもには、守ってくれる一番の存在がいなくなるというのは重大な事件だった。
運が悪ければ、その先誰にも守ってもらえずどうにかなっていたかもしれない。お互いそこは、ある意味幸運ではあった。
「私はその後こっちの施設入ってたけど」
「僕は…両親の友人だったマーベリックさんにしばらく引き取ってもらってました」
「マーベリックさんって……アポロンのCEOの?」
「はい」
マーベリックの姿は、も何度か目にしたことがある。
バーナビーのデビュー会見の時、ジェイク事件でバーナビーの過去を公表したとき、彼に代わって話をしていた。
それ以外でも、それなりにメディアには露出している。さすが7大企業のひとつのトップというべきか、シュテルンビルトで彼の名はよく知られていた。
そんな大物が友人だったご両親って、と考えずにはいられないが、それは少し野暮な話題な気がして口に出すのは控えた。
「そうか…じゃあ公私共に恩人なんだ」
「ええ。これからは、彼に恩返しができればいいなと、考えているんです」
「そうだね…、でもあんまり無理な仕事はしちゃ駄目だよ?」
こうしてのんびり夕食を共にしてはいるが、バーナビーは相も変わらず忙しい日々を送っている。
その上パートナーがしばらく休むのだし、負担が増えるのではと、の心配は尽きない。
「大丈夫ですよ」
ヒーローですから。冗談めかして笑うバーナビーに、は眉をさげてもう、と笑った。
♭16
話しながら食事を進めているうち、はあることに気付いた。もバーナビーも7割ほどすでにパスタを胃の中に入れている。
が、ここにきてバーナビーの進みが急に遅くなってきていたのだ。
口に合わなかった、としたらもっと早い段階で顔に出しているだろう。彼はそういう人だ。ならば何故だろう。
は少し手を止めてバーナビーをじっと見てみる。バーナビーはその視線にも気付かない様子で、
残りもそこまで多くないパスタをフォークでくるくると巻き続けている。一口で食べる分はとうに巻き終わっているのにも関わらず、
皿の上でくるくるとパスタとフォークが踊っていた。
「今の家は、住んでどれくらいですか?」
「えーっとね、働き始めてからだから、1年過ぎたくらいかな」
そして気付いたことはもう一つある。それはバーナビーの話す内容が、主に家に関する話題であるということ。
彼は元々支離滅裂に話題が飛ぶ性質ではないし、一貫性があることに関してはさして珍しくない、のだが。
いまだ減る気配のないバーナビーの分のパスタが、そのことに違和感を加えているようにも思える。
「引越しに抵抗、とかは」
「…んー、引越し自体にはないかも。でも今特に不満があるわけじゃないし、身の丈に合ってるっていうか」
なんとなく、なんとなくだが、はバーナビーが何か別のことを言いたいのに言いあぐねているように感じた。
本題は別のところにあって、それに切り込んでいくための糸口みたいなものを、探っている、ような。
がそう思ったあたりで、ぴたりと急にバーナビーのフォークが回るのをやめる。
ん?と思うのと同時に、巻かれていたパスタは皿を離れて、バーナビーの口へとおさまった。
それらが飲み込まれていくのを横目で見ながら、は彼の次の行動を待ってみる。
「、」
「なに?」
「…そんなに見られてると、やりづらいです」
「え、ああ、ごめん」
気付かれてたか。軽く謝りつつ、誤魔化すように自身もぱくりとパスタを頬張る。残りはあと一口分くらいしかなかった。
「…その、」
「うん」
見られてるとやりづらいと言うバーナビーの意見を尊重して、今度は意識だけをそちらへ向けてみる。
あくまで食事の手は止めない。残った短い麺もまとめてフォークへと絡ませてやる。
何の話だろうか。
「ここで一緒に暮らしませんか」
ぴた。
思わずの手が止まる。
「…え、」
意図的に向けていなかった視線を、はバーナビーに向けてみた。
そこには真摯な色をたたえたグリーンの瞳をまっすぐこちらを見据えていて、は息を呑んでしまう。
なんとか声を出そうとしたが、さっき呑んだ息がひっかかっているかのようにうまく声が出ず、かすれた声しか出すことができなかった。
「…ど、どういう、」
「そのままの意味です。…最近満足に会えてなかったですし、…あなたともっと一緒にいられたらと思って…」
続くバーナビーの言葉が、とても恥ずかしい内容であるような気がして、は自分の頬のあたりにじわじわと熱が集まってくるのを感じた。
「…同棲、て、こと?」
「…はい」
がぎこちなく訊き返すと、バーナビーは緩やかに頷いて、相も変わらずを見つめ続ける。やがて少しだけ眉を下げると、遠慮がちに呟いた。
「…嫌、ですか」
――ずるい。
その訊き方は、ずるい。は間髪入れずに心の中で返した。
だって、考えていなかったわけではない。お互い時間にあまり融通の利かない職業ゆえに、
少しでも長く共に過ごすための選択肢のひとつとして、思い描いたことではあったのだ。
しかしバーナビーは街のスーパーヒーローで、恋人がいることでさえ公にはできないのに、
そんな彼と同棲するだなんて夢のまた夢だと、そう考えて諦めた選択肢だったのに。
どう言葉にしていいかわからず、はふるふると首を横に振る。
バーナビーはそのの様子を見て口元を緩めると、穏やかな口調で言った。
「…いつからでも、構いませんから」
何と返すべきか答えが出ないまま、うん、とが小さく返す。
ますます嬉しそうに微笑むバーナビーを、恥ずかしくて正面から見られないことを悟られぬように、はパスタの残りの一口を口に入れた。
放置してしまっていたパスタはすっかり冷めてしまっていた。