パトロール中に路上にちょこんと取り残された、小さな人形のようなもの。
持ち主を失ったように寂しげに佇むそれに、は自転車に乗ったまま寄ってみた。
近付いてみればそれはシュテルンビルト市民にはおなじみのヒーロー、バーナビーの小さいフィギュアがついたキーホルダーであった。
は自転車を止めてそれを拾い上げると、ぐるりとあたりを見回す。持ち主らしき人物は、見当たらない。
近くにいたのは、買い物用の手押し車をからからと押して歩く高齢の男だけだった。
これだけがひとり取り残されているのだから、近くに持ち主はいないのだろう。
子どもか、それともそれなりの年のバーナビーファンかはわからない。
近頃のバーナビーの人気ぶりを見ると、彼がいわゆる子どもだけのヒーローではないことは明確であった。
それについて恋人であるが思うことがないわけではないが――彼がヒーローであるという以上、という一個人がどうこうできることでもない。
とりあえずキーホルダーは遺失物として預かっておこう、とはそれをとりあえずポケットにしまい込んで、交番へと自転車を進めた。
♭15
この春に出会い、夏に恋人になったばかりのバーナビー・ブルックスJr.の人気は、まだまだ留まることを知らない。
ジェイク事件以降は、パートナーであるワイルドタイガーとの連携も上手くとれるようになっているし、
親の仇という生きてきた道中での心のつっかかりが一段落したことが彼に余裕を生ませたようで、ヒーローとしての務め以外も前向きにこなしているようだった。
としては、元々ファンであり親交があったワイルドタイガーの人気がまた上がることに喜びを感じる一方、
自分の知らぬところで益々「みんなのヒーロー」になっていくバーナビーを見て、どこか寂しさを感じるのも、また事実で。
そもそも出会う前から彼は皆のヒーローであって、はこんなことは思うべきではないのかもしれないと度々反省したりしていた。
――その反面。メディアやファンの前では見せない、どこか子どもっぽくて考えてることが顔に出やすい素のバーナビーを知っている数少ない人間であるという自負が、
に優越感に似たなにかを抱かせていた。
バーナビーの整った顔立ちに惹かれる世の女性が求めているバーナビー像というものは、きっとクールでスマートな品のある男性像で、
現に女性向け広告に出る素顔のバーナビーは、そういった路線のものが多い。
しかし自分が見てそしてそうあって欲しいと求めているのは、美男子ばかりを選り好みするような女性たちが抱くようなバーナビーではないのだ。
そう思っている、けれど。
がそれを表明することはできないし、下手に行動してバーナビーに迷惑をかけては意味なんてなかった。
(そういえば、バニーちゃんのグッズとか、あんまり持ってないな)
キーホルダーを見つけて、はふいにそう思った。
職業柄、同僚にアンチヒーローと呼ばれる人々がいるのも、はよく知っている。
アンチとはいかないまでも、やや不信感であったり不満を持っている人は、それなりによくいるのだ。
その上どうしてか、警察官の間では「警察官にヒーロー好きはいない」というような微妙な空気が流れていて、
小さなキーホルダーひとつ持っていることさえはばかられる。
それにバーナビーファンであると知られれば、「顔がいい男につられやがって、これだから女は」といった空気にさえなりかねない。
それはの女としてのプライドと、なによりバーナビーの人柄を知る者として許し難かった。
それ故にバーナビーのグッズと呼べるものは手帳に入れておけるようなヒーローカードくらいで、あとはほとんど買わないようにしていたのだ。
は自転車を漕いで風を受けながら、揃いの服を着て手を繋いで歩くカップルとすれ違った。
ぼんやり彼らを見ていると、見られていることに気付いた二人はどこかぎくりと身を強ばらせる。
ごめん、別に咎めるつもりはないんだけど。心の中で謝りながら、またはペダルを踏んだ。
「…いいなあ、」
気付くと、口からぽつりとそんな言葉が出た。
ペアルックがしたいわけじゃないし、どちらかといえばそれは御免被りたい。
それでも街中で手を繋いで歩ける、自分が誰を想っているのか表明できる、恋人同士でいられる、たったそんなことが、にはちょっぴり羨ましかった。
「お疲れさまでーす」
交番に戻ると、上司が退屈そうにデスクで新聞を読んでいるところだった。
なかなかに事件の多いシュテルンビルトだが、ここの交番は富裕層が多いゴールドステージにあることもあって、
平日の昼間なんかは割とのんびりできることも少なくない。
異常なしでした、と新聞を読んだままの上司に一言報告すると、彼は新聞から目を離さぬまま「おう」とだけ返事をする。
はパトロール用の荷物を一通り片付けて、なんとなく上司と話す話題もないので給湯室にコーヒーを淹れに入った。
上司の分も適当なマグカップに淹れて、「どうぞ」と言いながらデスクにコーヒーを置く。
彼はカップに目をやってから、デスクの引き出しを開けてガムシロップを2つほど出した。
そっけないし真面目ともあまり言えない上司だが、こういうところは存外かわいらしい。
なんて考えつつ、が行儀悪く歩きながらコーヒーを口にしたところで、交番の外に小さな影があることに気付いた。
赤いトレーナーを着た少年が、ちょこちょこと交番の目の前を行ったり来たりしているところだった。
時々中を伺っては、の上司の姿を見てそそくさと見えないところに移動する。
のことは1度だけ見て、何かを訴えるような目をしてから、またの視界から姿をくらました。
…何か用なのかな?
はそっとコーヒーを自分のデスクに置いて、上司に特に何も告げずそっと交番の外へと出る。
そのとき少年はちょうど交番の角に身をひそめていたが、真っ赤なトレーナーは特に色のない交番の壁からはみ出たときにえらく目立った。
「どうかしたの?」
少年に近付いて、は彼を怖がらせないようにとしゃがみ込む。
少年は一瞬だけびくりと肩をすくめたが、おそるおそるといった感じで口を開いた。
「お、落とし、ちゃって」
「落としもの?」
「おかあさんが、ここに来れば、あるかもって」
思ったよりしっかりと受け答えをする少年だったが、どうにも泣きそうな顔をしている。
まだ怖いのか、それともよっぽど大切なものだったのか。どちらにせよ、放っておくことはできない。
「何を落としちゃったの?」
「き、キーホルダー」
…………。
落とし物としてはある種定番なそれだが、には身に覚えがあった。
あれがその少年のものとも限らないけれど――の勘が、なんとなくそうであることを告げている。勘は昔から、よく当たるほうだった。
「えっと、どんなのかな?」
「バーナビーの、スーツのやつ、」
ほらね。
そういえばポケットに入れっぱなしだったことを思い出した。遺失物預かりのボックスに入れるのをすっかり忘れていた。
ごそ、とはポケットをまさぐって、目当てのものを取り出す。「もしかして、これ?」
少年の目の前にバーナビーのキーホルダーをぶら下げると、少年はぱあっと顔を輝かせて、「こ、これ!」とうわずった声で返した。
「ありがとう、おねえちゃん!」
「どういたしまして」
本来なら真実それがこの子のものであるのか確かめなければいけないけれど、まあ別に、遺失物として報告もしてないし、いっか。
とは心の中で結論づけて、嬉しそうにキーホルダーを握りしめる少年を見つめた。
きゃっきゃとはしゃぐ少年の様子を見ていると、なんだかあたたかな気持ちになる。
「バーナビー、好きなんだね」
「うん!」
軽く振ってみると、少年はバーナビーのどこがかっこいいかを嬉々として喋り始める。
それを相槌を打ちながら聞いて、「バーナビー、かっこいいよね」と何気なく返すと、少年の語りがぱたりと止んで、まあるい瞳で見つめてくる。
「おねえちゃんも、バーナビーがすきなの?」
「え、」
あまりにも突然の質問に、は思わず固まってしまった。そして固まるような質問でもなかったと、すぐに思い直す。
彼が言う「すき」は、ファンであるとかそういう純粋なことを指していて、他意はないのだ。
ここで固まったら、大のバーナビーファンであるらしい彼を傷つけてしまう――そう思ったが、彼の続いた言葉にまた固まるしかなかった。
「おねえちゃん、ぼくのおかあさんがおとうさんに『好き』って言うときとおんなじ顔してた」
君のご両親は仲がいいんだね、とがぎこちなく返せたのは彼がそう言ってから5秒経ってからだった。