恋に障害はつきものであるとはよく言ったもので、その障害にも様々な種類がある。
立場であったり距離や時間の問題であったり、またライバルと呼べる存在の出現であったりと、場合によってまちまちで、また人によって何が障害かも変わってくるものだ。

バーナビーがへの思いをようやく自覚してから、彼が自分にとっての障害であると思うことが増えた。
ひとつは今の状態では会う頻度があまり多くはないこと。今のところ週に1度、お互い仕事の都合などでそれも安定はせず、毎日とはいかないまでも、それよりも多く彼女に会いたいと思うバーナビーにとってはあまりにも乏しい時間だった。
もうひとつは、例の警察官の彼。
彼がにとってどういう存在なのか、バーナビーはまだ知らない。もし彼が恋人だとかそういった、の中で比重の大きい存在だとしたら、自分の想いをどうにかして処理しなければならないのか、ともバーナビーは考えていた。けれど未確定な今のところ、想いを捨てようなどという気は彼にはさらさらない。
そしてもうひとつ、これはバーナビーもなんとなく感じているだけに過ぎないのだが――


「あ、そうだ。悪いんだけど、私来週この時間いないから」

だから来週はナシね。
先週電話でした約束通り、が作ってきたサンドイッチを食べている最中に彼女は突然そう言った。
いきなり発せられたその言葉に、アポロンメディアのヒーロー2人は思わず固まって、口に入れていたサンドイッチを同時にごくんと音を立てて飲み込む。

「仕事か?」
「ううん、有給」
「来週っつーと…」

虎徹は呟きながら交番の壁に掛けられたカレンダーの、1週間後にあたる日付を見て、あ、と小さく零した。
心当たりがあるようなそぶりの虎徹に、バーナビーは心中で首を傾げる。同じようにカレンダーを見ても、彼にはこれといってわざわざ有給休暇をとってまで彼女が仕事を休む理由を見つけられなかった。
そっか、と言って虎徹がに向かって寂しげに笑う。あまり見ることのないその表情に、わずかばかりの深刻さを感じ取って、バーナビーはそっと問いかけた。

「…何かあるんですか?」
「うん、ちょっとね」

バーナビーがに直接尋ねてみると、彼女も虎徹と同じように寂しげな色を滲ませて淡く笑む。
ころころと表情を変えていつも明るい彼女の、初めて見る顔だった。


「会いに行かなきゃいけない人がいるの」


――そう、この時確かに、バーナビーは彼女との間におぼろげな壁を感じた。
虎徹は知っていて、自分の知らない彼女の核心に触れる何か。それを知らないことが、バーナビーにとっての障害のひとつであった。


#08


結局彼女が有給をとる理由がハッキリとわからないまま時は経ち、一週間。
確かめるようにバーナビーがいつもの交番の近くまで行って様子を伺ってみても、やはりの姿はない。
これだけのために会社の外に出て終わるのもまずいか、と思ったバーナビーは適当に近くで昼食を済ませることにした。

2週間前は自身の都合で会えなかった。今度は彼女の都合で、会うことができずにいる。
出会ってからしばらくは偶然も含めて何度も会っていたというのに、バーナビーがへの好意を自覚した途端これかと、思わずにはいられない状況であった。
それにしても。

「(…会いに行かなきゃいけない人、というのは)」

一体誰なのだろうか。
家族や親戚、もしくは、あまり考えたくない選択肢ではあるが、恋人、だとか。
バーナビーは思わず顔を顰める。
そうではなく、家族などであって欲しい、というところに思考が辿り着いてから、バーナビーはふと気付いた。彼女の家族の話を、聞いたことがないのだ。
について知らないことがまだまだ多いとは自認している。しかし今までの彼女との会話を思い返してみても、不自然なほど家族の話題はなかったように思われた。の家庭に関してバーナビーが知っているのは、一人暮らしであることと、元々の実家はオリエンタルにあるということだけだ。

もしかして、今日の彼女の用事というのは家族が関係しているのではないのだろうか。
推測の域を出ないのに、バーナビーはそれが妙にしっくりくるように感じた。



会社に戻ったバーナビーは、まず虎徹の姿を探し始める。今日のことに関して何か知っているようだったし、彼女のことは、自分より付き合いの長い彼に訊いたほうがきっと早い。
バーナビーはヒーロー事業部のフロアでエレベーターから降りたところで、ちょうど自販機に飲み物を買いに来ていたらしい虎徹と運良く鉢合わせた。

「虎徹さん」
「おぉバニー、おかえり」
「少しいいですか」
「は? あー別に大丈夫だけど。どした?」

缶ジュースを持ってぽかんとこちらを見る虎徹に、バーナビーは真面目な顔で返す。

のことなんですが」

そう言った瞬間、とぼけたような虎徹の顔がすっと深刻さを帯びて、バーナビーの言葉の続きを待った。バーナビーが何を訊きたいのか、なんとなしに察したらしい。

「…なんだ?」
「今日、彼女が休む理由に、心当たりがあるんですよね」
「…ああ」
「…そのことに、彼女のご家族は、関係ありますか」

虎徹が少しだけ驚いた顔して、バーナビーを見る。この反応を見る限り、バーナビーの勘ともいえる推察は、あながち間違いでもないようだった。

「…お前、どうして」
「関係、あるんですね」
「…そうだな、関係ある」
「…一体どんな、」

「それは」バーナビーの言葉を遮るように、虎徹が強く言う。

「それは俺が言うことじゃない」

バーナビーを見る虎徹の目は、詳しいことは何も話すつもりはないと言外に語っていた。その強い視線に、バーナビーもこれ以上訊いても無駄だと判断する。

「…そうですか」

バーナビーは一言礼を言って虎徹から目線を外した。事業部に向かおうとバーナビーが踵を返したところで、まだ動いていない虎徹がバーナビーを見てぽつりと小さく言う。

「…気になるなら、本人に訊け」




以前にも、ああしてのことに関して虎徹が言葉を濁すことがあった。
まだと出会ったばかりの頃だったように思う。といっても2ヶ月前にもならないのだが、今に比べれば圧倒的にのことを知らなかったバーナビーは、それが彼女にとってどれだけのことであるのかも予測できなかった。

本人に訊け、と虎徹は言ったが、彼女と家族の間になにかしら事情があったとして、それを訊かれるのは、彼女にしてみれば心苦しいことではないのだろうか、とバーナビーは思う。
バーナビー自身、幼い頃に両親を亡くしている。ジェイク事件の際に公にしたこともあり、両親がいないことをわざわざ突いてくるような輩は最近はいないが、昔それを知りたがった者に対しては、怒りのような感情を抱いたのも事実だ。
だからこそ、彼女も虎徹もああしてあまり触れずにいるのだろうに、自分が踏み込んでいってもいいことなのか。
バーナビーの中で、彼女のことを知りたい気持ちと、そっとしておくべきだろうという気持ちがないまぜになる。

心の整理もできていない状態で、バーナビーは携帯を開きながら、事業部前の廊下でしばらく固まっていた。
虎徹とあの話をして以降、こうして携帯と睨めっこをするのはかれこれ3回目だったバーナビーは、ぐちゃぐちゃなままの心情をまるごと吐き出すかのように大きな溜息をついた。
わざわざ今日電話してまで訊くことではない、違う機会にしよう、そう思ってバーナビーが画面を消そうとしたその時――

『バーナビー!!!』
「うわっ、さ、斎藤さん!?」

突如としてかけられた、拡声器を通しての大音量の声。あまりにも突然投げかけられたそれに、さすがのバーナビーも肩を跳ねさせて驚いた。
振り向くと、そこには虎徹やバーナビーのヒーロースーツを担当している技術者の斎藤がいる。普段はこれでもかというくらい小さな声で話すくせに、拡声器を通した途端にやかましく喋る彼は、いつものラボを抜けて、何かしらの書類を持ち事業部にわざわざやって来た様子だった。

『電話中か、邪魔をしたな』
「え」

斎藤のその言葉に、バーナビーは手にしていた携帯を見る。
発信中。
はっきりと画面にそう表示されていて、しまった、と思った。
斉藤はバーナビーに渡す予定だった書類はデスクに置いておくよ、と言って事業部のドアをくぐっていく。
彼のその言葉も話半分にしか聞けず、どうしたものか、ということばかりがバーナビーの頭の中を巡った。
かといってもう発信してしまった以上、切ってしまっても履歴が残り不審がられるだけだ。
仕方ない、とバーナビーは覚悟を決めて、コール音が途切れるのをじっと待つ。

『…もしもし?』

やがて画面に映ったの姿に、バーナビーは違う意味でどきりとする。
いつもより低く結った髪、鮮やかな色を好む彼女の着る、真っ黒な服。にしては沈んだトーンの言葉に、冷や汗でも出そうな居心地の悪さを感じた。

『どうしたの?何か用?』
「…あ、ええと」

不思議そうな顔で尋ねる彼女に、なんと切り出したものか。
訊きたいことはあるにせよ、本来なら電話してしまうつもりはなかったので、正直無策であった。バーナビーは1度だけ静かに深呼吸をし、意を決して口を開く。

「今、大丈夫ですか?」
『うん、大丈夫だけど…』
「…今日はどちらに?」
『あー…っと、実家のほうにね』

歯切れ悪く答えて、は画面越しのバーナビーから目を逸らした。やはり濁したいこと、なのだろう。困ったように頬をかきながら言うに、今自分がしていることは彼女を傷つけてはいないかと、バーナビーは躊躇する。

『…もしかして、なんか訊いた?』
「え?」
『虎徹さんに』

ふいに出て来た虎徹の名前に、自分の行動を見透かされたかと思って、バーナビーは思わず目を見張った。

「…いえ、何も」
『そっか…そうだよね、虎徹さんはそういう人だよね』

目を伏せて、彼女は困った顔のままわずかに口角を上げる。
いつも笑顔の彼女を、こんなにもはっきりと困らせている。その罪悪感がバーナビーに降りかかってきて、胸が締め付けられるような心地だった。

『本人に訊け、とか言われなかった?』
「…はい、でも貴女が嫌なら無理には、」
『……いや、いいよ。隠してても仕方ないことだし』

やりづらそうに髪を梳いていた手を止めて、が画面の向こうの、どこか遠くを見る。

『…今日はね、親の墓参りに来たの』
「…え、」

思わず声が漏れる。
――”会いに行かなきゃいけない人”。


『…今日、命日なんだ。…昔、事件でね』





(………僕と、同じ、)