人と人とが関わる上で、好意というものがあるなら嫌悪というものも確かに存在する。好きな物事の話題で話が盛り上がるように、不満を共有することがあるのも、悲しいかな人の習性のようなものである。もちろん好き嫌いというものは個人差があり、普段接している人でなくとも、例えばTVの中の人間であるとか、全ての面を見ずにそれを決めてしまうことも多い。
差別だとかそういうものも、はっきりした確証のようなものがないとしても成立してしまう。様々な民族、人種が集うここシュテルンビルトでは日常茶飯事であるし、NEXTと呼ばれる存在が現れたことで新たな差別の火種となってしまっているのも事実であった。
故にNEXT能力を持つヒーローにもやはり一定の、アンチと呼ばれる人々がいる。街にいてある程度の、といってもわずかではあるが嫌悪を向けられるのはヒーローたちも覚悟の上で、珍しいことではない、のだが。

この日バーナビーに向けられた視線は、そういう類のものとはまた少し違った。
違和感に彼がその視線の出処に目をやると、そこには一人の警察官の青年がいた。しかも見覚えのある顔だ。こうして事件現場で見かけるのは、バーナビーからしてみれば二回目の、名も知らぬ青年。

「(…この間の)」

先日バーナビーが現場でと会った際に、彼女と親しげに話していたあの青年だった。

この間とは違い、今日は明らかにバーナビーを鋭く睨みつけている。その眼光からはバーナビーに対する敵意がありありと見てとれて、つられるようにバーナビーも眉間に皺を寄せ、強い眼差しを向けた。
しかしそれも束の間で、バーナビーの後ろからがちゃがちゃと重たい足音がしたのと同時に、青年はぱっと踵を返してその場を離れる。やや拍子抜けしたバーナビーが足音の主、ワイルドタイガーこと虎徹を振り返ると、彼はとぼけた顔で青年が去っていく様子を見つめていた。

「…なんだアイツ?」

虎徹はもうあの青年が先日と話していた人物だというのは忘れているらしい。
を以前から知っている虎徹でも彼を知らないというのに、彼が一体誰で、どのような意図であのような行動をしたのか、バーナビーにわかるわけがなかった。ただ彼がヒーロー…というより、バーナビーをよく思っていないであろうことは、確かなことのように感じられた。


#07


ああもあからさまに敵意を向けられたのは犯人以外では久々のような気がする、とバーナビーは思う。似たようなことならば、アカデミー時代にもあったような、気がした。大抵自分は身に覚えがない場合が多かったが――まあその、彼女をとられただとかなんだとか、そういった部類の。実際バーナビーが他人の恋人を横取りするようなことなどなく、女性の側が勝手にバーナビーを好きになり、別れを告げられた彼氏がほとんど逆恨みのようにバーナビーを嫌っていたのであるが。

おそらく件の彼がバーナビーに敵意を向けているのは、に関わることが原因だろうと、バーナビーは考える。あくまで推察ではあるが、あの青年はきっとに対して好意を抱いている、と言って間違いないはずだ。そうでなければ、こちらに敵意を向けてくる理由が見当たらない。だが彼が敵意を向けてくること自体に関しては、バーナビーはさして気にしていなかった。
問題は彼ではなく、があの青年をどう思っているか。それだけがどうにも気にかかっていた。

「バーナビーさん?」
「え? ああ、すみません。次の質問どうぞ」

投げかけられた女性の声に、バーナビーはインタビュー中であったことを思い出す。仕事中だというのに余計なことを考えたと、彼は一瞬だけばつの悪そうな顔をしてから意識的に思考を切り替えた。
記者の女性はどこか不思議そうな顔をしながらも、自分の仕事の続きに取り掛かろうと口を開く。

「次はですね、世の中の女性が皆気になるであろう、バーナビーさんの好みの女性のタイプを教えてください!」
「…、」

よくある定番の質問というやつで、この手の質問は以前にも何度かされたはずであるのに、バーナビーは少しだけ、答えに迷った。
迷った、というより、ふとある特定の人物を思い浮かべてしまって、自分でも戸惑った、という方が正確な気もする。

「…特にないですね」
「ええっ!そうなんですか〜!」

バーナビーは前に問われたときと同じような答えを返して、記者に微笑む。「でも、」今回は、前とは違う。
視野が広くなって、新たな出会いがあって、以前より欲張りになってしまったのかもしれないと、バーナビーは思った。

「明るい笑顔の女性が好きですかね」




「よーバニー、お疲れ」
「虎徹さん」

この後は虎徹と共にコンビでTV番組の収録に臨む予定だったため、次の現場に入るところで、バーナビーは虎徹と合流する。直前の仕事のことなどについて一言二言軽く交わした後に、バーナビーを見て、虎徹がヒゲをさすりながらしみじみと「しっかしお前アレだなあ、最近いつにも増して忙しくないか?」と呟いた。
虎徹の言う通り、バーナビーはここ数日多忙な日々が続いていて、とりわけ今日は移動時間が休憩時間を兼ねるというような特に忙しい日であった。
本来なら今日が彼にとって楽しみである、週に1度のもとに訪れる予定の日であったのだが、仕事で隙間なく埋められたスケジュールを見て、仕方なく今週は諦めたのだ。先日抱いたバーナビーの嫌な予感はきっちり当たってしまったということになる。

「…仕事がある分には有難いことですよ。文句は言えません」
「つってもなあ…」

間違いなくバーナビーは事実を述べたのだが、彼の表情もどことなく強ばっているあたり、納得はしていないようだった。
同じように微妙に納得のいっていない顔の虎徹だったが、何を思ったか、突然良いことを思いついたとバーナビーに笑顔を向ける。

「まだ仕事始まるまではちょっと時間あるよな?」
「は?」
に電話すっか」

何を急に、とバーナビーが言う前に虎徹は携帯を取り出してその思い付きを実行しようと指を動かす。虎徹のその行動を止める理由はバーナビーにはなく、むしろほんの僅かに期待すらしてしまうほどであった。
すると一連の操作を終えたらしい虎徹が携帯を耳に当てる。沈黙ののち、やがて聞こえてきた、音量としては微かな「もしもし?」という言葉がバーナビーの胸を弾ませた。

「おー俺だけど、今大丈夫か? …おう、はは、そっか。…俺? 俺はこれからバニーと一緒に仕事。ん? あー今一緒にいるぜ、代わるな」

一通り簡単に会話をしてから、虎徹がバーナビーに向かってほれ、と携帯を差し出してくる。それを受け取り、恐る恐る耳に当てる。実のところ、互いの番号を知っているにも関わらず、バーナビーがとこうして電話をするのは初めてのことだった。

「…もしもし、」
『あっバニーちゃん? えーっと、お仕事大丈夫なの?』
「…ええ、まだ多少、時間がありますから」

電話越しに聴くの声は、面と向かって話しているときとちょっぴり感じが違って新鮮な心地がする。けれどきっとこういう顔で話しているのだろう、と思わせるいつも通りの彼女に、バーナビーも思わず笑みをこぼした。

「今日はそちらに伺えなくて残念です」
『私も残念。もしかして、来週も忙しくて来れなかったりする?』
「来週は…今詳しいことまではわからないですけど、多少は余裕があると思います」
『そっか。…ねえバニーちゃんさ、』
「はい」
『サンドイッチ何が好き?』
「…は?」
『…あ、嫌いなもの訊いたほうがよかったかな。なんか嫌いなものある?』
「え、あの」

相変わらずの唐突な話題の切り替えだった。声だけではいつもより理解するのに余計時間がかかってしまい、バーナビーはなんとか思考を巡らせる。この流れは、もしかして。

『もしかしてそもそもサンドイッチがそんな好きじゃないとか?』
「いえそんな事は、…あの、」
『ん?』
「……作ってくれるんですか?」

あくまでバーナビーの推測と期待でしかない考えを、素直に本人に尋ねてみる。
それが合っているかも、合っていたとして何故彼女がそうしようと思ったかも、やはりバーナビーにはわからないが…もしそうであればいいなと、バーナビーは思った。

『…………いらない?』
「ッいります!」

返ってきた拗ねたような声に、バーナビーは慌てて肯定の言葉を返す。思った以上に力んでしまったバーナビーの様子に、はくすりと小さく笑って、バーナビーの問いに正解を示した。

『じゃあ、来週来られそうだったら前の日とかに連絡して。お昼作っていくから』
「はい」
『先に言っとくけどそんなに期待は――…っと、ごめん、呼ばれちゃった。じゃあ虎徹さんによろしく。お仕事頑張って』

プツ、という音の後に、規則正しいリズムで鳴る電子音。しばらくそれを呆然と聴いて、まだどこか放心したようにも見えるバーナビーが「ありがとうございます」と言って虎徹に携帯を渡す。バーナビーは頭の中を仕切り直すために眼鏡を指で押し上げて、詰めていた息を吐いた。それを見た虎徹が穏やかな眼差しでバーナビーを見つめる。

「バニーさ」
「…なんですか?」
と話してるとき、嬉しそうだよな」

虎徹のその言葉に、バーナビーは目を丸くする。自分のことに関しては人一倍鈍いくせに、どうしてこうたまに鋭いのか。
それとも自分が、わかりやすくなってしまっているだけなのか。
虎徹は相変わらず優しげな瞳でバーナビーを見据えたまま、言葉を続けた。


「やっぱお前、のこと好きなんだな」


腑に落ちた音が、聞こえたような気がした。