結局あの迷子探しの後、バーナビーがに奢られたのは(彼女が職務中ということもあり)缶コーヒー1本であったのだが、彼らは今までそうしてきたように、飲み物と共に多少の言葉を交わした。とはいっても、そもそもバーナビーとがそのように話すのは互いに出会ってからたったの3度目なのだが、バーナビーは不思議とと話すこと自体は嫌いではなかった。
彼女は人とあまり壁を作らない人だ、とバーナビーは思っている。困っている人にはすぐ寄り添って手を差し伸べるし、相手が喜んでいれば自分も嬉しいといった顔をして、感情を共有しようとしているように見える。喋り方だったり、豊かな表情であったり、たまに何を考えているのかわからないときもあるが、それでもバーナビーはまだ出会って半月ほどしか経っていない彼女の人柄が、嫌いではなかったのだ。

…彼がひとつだけ彼女に対する難点を挙げるとするならば、即座に自分の呼び方だとは、言うであろうが。


#04


「あれ、今日はバニーちゃんひとり?」

以前虎徹と訪れたときと同じ時間帯に、バーナビーがのいる交番を訪れてみれば、開口一番がそれだった。やはり彼女にはバーナビーの呼び方を直す気はないらしい。
交番の中にいるではなく、交番の前にある花壇に水をやっていたらしいは、じょうろ片手にバーナビーを見上げた。

「ええ。あの人、今日は特に賠償関係の書類に追われているみたいで」
「あはは…」

なんとなく事情を察したは、困ったような乾いた笑いをそっと返す。反応からみて、どうやら前にも似たようなことはあったようだ。
そっか、と呟いて、彼女はじょうろの中の残った水を大雑把に花壇に撒くと、伺うようにバーナビーを見て言った。

「でも、来てくれたんだね、バニーちゃん」

どういう意味かとバーナビーが問いただすよりも先に、は「入って」と短く言うと、さっさと交番の奥へと引っ込んでしまう。
虎徹が一緒でなければ来ないと思っているのだろうか。
最初に来たときも、またその次も、道で迷子連れの彼女と出会ったときも、自分は一人で行動していたというのに。
ぽつんと取り残されたままだったバーナビーは戸をくぐり、適当な椅子に座って彼女を待つ。

「(…でも確かに、この前以外は虎徹さんを探しにここまで来たからな)」

今日のバーナビーは誰を探しに来たわけでもなく、それこそ喫茶店を利用するかのごとく交番を訪れる虎徹のようにここまで来た。
喫茶店と違う点といえば、そもそもここは本来お茶をする場所ではないこと、故に他の見知らぬ客などもいないこと、飲み物を選べない代わりに料金を必要としないこと、そしてがいるということであった。
最初にここを訪れたときに虎徹に注意をしたものの、ここには――正確に言うならばがこうして迎えてくれるこの場所、この時間には、また訪れれてもいいと思わせる居心地の良さがあったのだ。
バーナビーがそんなことを考えていると、マグカップを両手に携えたがまた姿を現して、はい、とバーナビーの前に真っ白いマグカップを置いて彼の正面に座った。

「ありがとうございます」
「いーえ」

今日彼女が淹れたのはジャスミンティーのようだ。一口だけ口にしてから、バーナビーが向かいにいるに視線をやると、彼女のほうも似たような行動をしていたらしく、お互いの視線がぶつかる。
なんだか少しだけ、今までと心地が違う。そういえば、こうして彼女が自分の正面に座るのは初めてではないだろうか。これまでの彼女は大抵自分の斜め向かいか、横に立っていたりと、落ち着いて真正面から向き合ったことがないように思う。
どこか変な心地で、しかし目を逸らす理由もないのでそのままでいると、がちらりと視線を動かしてやや下を見た。

「(…カップ?)」

おそらく彼女が見たのはバーナビーの手元のマグカップだったのだが、は再度バーナビーに視線を戻すとおもむろに口を開く。

「バニーちゃんて、」
「はい」
「赤とか好き?」
「え?」

突然何を訊くかと思えば、とバーナビーは思ったが、彼女と話すとき、大抵一度はなんだ急に、と思わされたことがあったと思い返す。

「ジャケットも赤だし、ほら、ヒーロースーツも赤使ってるじゃない」
「…そうですね、結構赤は好んで身に付けてると思います。携帯も赤ですし」
「そっかー、わかった参考にする」
「…なんのです?」
「ひみつ」

はいたずらっぽく微笑んで、そのうちね、と言って頬杖をついた。
決してポーカーフェイスではないのに駆け引きに慣れたその顔は、迷子探しのときに見せた大人びた表情と同じく、バーナビーが初めて見る大人の女性らしい顔でどきりとする。
かと思えばすぐに手を頬から離し、やや間の抜けた顔でバーナビーを見た。今度は何を言い出すのか。

「あ、ねえそうだ、バニーちゃん、連絡先教えてよ」
「連絡先?」
「携帯の番号」

そしてまた唐突に、彼女は話題を切り出した。
曰く、今まで虎徹が訪れる際には毎回事前に連絡を貰い、が一人であることを確認した上で来ているという。それはそうだ、いつだってここにだけがいるとは限らないし、そもそも以外の警察官がヒーローに好意的であるとは限らない。いつぞやのように、ヒーローを嫌う警察官も少なくはないだろう。そのヒーロー嫌いが、この交番に勤めている可能性もあるのだ。
軽率だったか、とバーナビーは謝罪の言葉を口にする。は眉を下げながらも笑って、「私も言わなかったしね、ごめん」と謝り返した。

「だから、ね」
「わかりました」

言ってバーナビーはポケットから携帯を取り出す。先程言った通りの、真っ赤な折りたたみ式の携帯だ。

「ほんとだ、携帯も赤」

はくすくすと笑いながら、自身もポケットから携帯を出す。手際よくカチカチとボタンを鳴らすと、「ここに番号入れて」とバーナビーに向かって差し出した。




小さな画面に映る「」の文字を見つめる。何度見ても妙な気分だ。
バーナビーは小さく息を吐いた。
自分の生活の範囲の中で、きっと関わらない範囲の人間だと思っていた人物の連絡先が自分の携帯に収められていることが、どうにも不可思議なことのように思える。
しかも仕事上の付き合いでもなんでもなく、完全にプライベートな接点だというのに。
バーナビーの中でが占める割合が、バーナビー本人が思っているよりも大きくなってきている自覚が、そのもやもやにも似た気持ちを生んでいることまでは、彼はまだ気付けていないようだった。

バーナビーは番号を登録する際にの携帯に表示されていた「バニーちゃん」の文字を思い出し、微かな苛立ちで妙な気持ちを覆って、勢いよくパタンと携帯を閉じた。


「は〜…や〜っと終わったあ〜」

そう言いながら既に疲れた様子でトレーニングルームに入ってくる虎徹をバーナビーは一瞥すると、その視線に気付いた虎徹がバーナビーの方へ歩んでくる。

「終わったんですか」
「終わった終わった、参っちまうよなあヒーローがあんなややこしい書類ばっか書かされてよ」
「溜めておくからいけないんですよ」

いやそうだけど、と口をとがらす虎徹のいつもの適当さに、バーナビーはこれ見よがしにはあ、と溜め息をついた。
どこか彼女と似ているとは思ったが、こちらは欠点ばかり目立つなと、呆れにも似た感情がこみ上げてくる。こういう人だとは知っているつもりだが、どうにも全て受け入れられる気にはなれないものだ。

「結局アイツのとこにも行けなかったしなぁ…バニーは行ったんだよな?」
「行きましたよ。あなたが書類に追われてるって伝えたら苦い顔で笑ってました」
「いやそういうこと言わなくていいっつーの!」

いつものごとく2人が言い合って騒いでいると(まあ主に騒いでいるのは虎徹一人だが)、トレーニングルームにいた他のヒーローもなんだなんだと寄ってくる。

「何よ〜何の話ィ?」
「なんだ? 新しく行きつけの店でもできたか?」
「いや別にそういうんじゃねーけど、たまに顔出しに行ってる知り合いがいてよ」
「知り合い? ハンサムも知り合いなの?」
「えっねえその知り合いってどんな人?」

トレーニングそっちのけでわらわらと2人の周りに集まってくるヒーロー達に、バーナビーは仕方ないなと再び溜め息をついた。このままじゃ、虎徹がうっかりボロを出して彼女のいるあそこがヒーロー御用達の喫茶室になりかねない。それはさすがに彼女がきっと困るだろうと、バーナビーは意気込んで騒ぎの輪の中へと入った。





(…彼女は嫌がりはしないだろうけど、僕はあまり面白くない気がする)