ヒーローのデスクワークは普通のサラリーマンのそれと比べて少ない。事件の報告書であるとか、賠償に関する書類だとか、扱う必要があるのは大抵それくらいで、あとは実務や取材などで仕事の時間を過ごす。ゆえに仕事机に向かっている頻度も少ないが、今日もアポロンメディアヒーロー事業部のデスクのひとつは空いていた。バディを組んでいるバーナビーはその席の主の仕事の予定もなんとなく把握していたが、この時間、相棒である虎徹は特に大きな仕事もなかったはずで、そこが空席なのはいささか不自然であるとバーナビーは感じていた。

時計は11時50分を指している。
ふと、ひとつだけ心当たりがあることにバーナビーは気が付いた。そういえば、あれからちょうど一週間経っていた。バーナビーはほぼ終わりかけていた書類を早々に書き上げると、先週と同じように社外へ出た。


#02


「…やっぱり」

バーナビーの予想通り、虎徹はまた会社近くの例の交番に腰を据えていた。バーナビーの姿を見つけて、中にいた虎徹が軽く手を上げる。すると隣にいたもなんだなんだとこちらに顔を出して、バーナビーに向かって手を振った。


虎徹の茶飲み友達という名のちょっとした知り合い、に、バーナビーが初めて会ってから一週間。あれから彼女についてバーナビーがわかったことといえば、まだ今年度なったばかりの新米警官であること、一応は成人していること、自分と虎徹専用のマグカップを用意していること、それから出される飲み物はその日の彼女の気分によるということくらいだった。どうやら今日は紅茶のようだ。

「ほんとに来たね」

がバーナビーの前にカップを置いて、自分が座っていた椅子に戻りながら言った。「何がです?」と訊き返すと、はちらりと虎徹に目配せしてから言う。

「虎徹さんがね、多分今日はバニーちゃん来るぞって言ってたの」
「え?」
「な?言った通りだったろ?」
「虎徹さんの勘、馬鹿にできないかも」

得意気に笑う虎徹に合わせていたずらっぽく笑うは、やはり大人の女性というよりは少女のようだった。現にバーナビーは彼女が成人であるということをすんなり受け入れられなかったし、初めて見たときは高校生ではないかとさえ思ったほどだ。本人に言えば怒り出すような気がしないでもないため、これはバーナビーの心の中だけでとどめられたが。

「バニーも俺の勘もっと信じてくれてもいいのによお」
「根拠がなければ信じるに信じきれませんよ」
「ったく頭かってーなあ。なあ?」
「うーん、まあ勘も時には大事だけど、バニーちゃんが言ってるのももっともじゃないかな」
「…というか、僕はバニーじゃありません、バーナビーです」

バディになって既に大分経つ虎徹だけならまだしも、年下で、しかもまだ知り合ってから日の浅いあるにその名前で呼ばれるのは、バーナビーにはどうも面白くなかった。その呼び名は自分で考えたというよりは、十中八九、というかほぼ確実に虎徹が吹き込んだことではあるとわかっていても、男としてのプライドとか意地とかいうものがバーナビーの頭をよぎる。仔ウサギと呼べるような未熟な時期は、ジェイクの一件でいささか乗り越えたと思っていたのに。

「なんでよ。かわいいじゃん、『バニーちゃん』」
「可愛いと言われても嬉しくありません」
「ええー…」

賑やかに言い合う二人とそれを見守る虎徹の耳に、「あのう、」という小さな声が聞こえた。三人が一斉に声のした方を向くと、初老の女性が交番の入口に立って様子を伺っている。それを見ては弾かれたように立ち上がって、「どうしました?」と声をかけて駆け寄った。

女性は道に迷っていたようであった。は彼女に目的地を尋ね、「よかったらご案内します」と申し出る。あらありがとう、と返す女性に微笑んで外に出るよう促すと、後を追いつつ虎徹たちを振り返った。

「すぐ戻るから、しばらくの間ここよろしく!」

はそれだけ言って女性とともに行ってしまった。ぽつりと残された虎徹とバーナビーが、ぎこちなく視線を合わせる。

「…で、あの人に一体どう僕のことを吹き込んだんです」
「人聞き悪いこと言うなよ…バニーちゃんって呼ばれたの気にしてんのか?」
「ええまあ、そういう風に呼ぶのは後にも先にもあなたくらいだと思っていたので」

しかし、ちゃんと彼女は仕事をしているのだと、バーナビーはひとり感心する。困っていたあの女性を見てすぐに動いたり、真摯に向き合おうとする姿勢は警察官の鑑とも言えたし、バーナビーたちヒーローにも通ずることであった。

「ま、そんな怒んなよ。あいつも嬉しくてそう呼んでるんだろうし」
「いや、僕はあなたに怒っているつもりだったんですが」
「あれ、そうなの」
「…まあいいです。それで、彼女が嬉しいっていうのはどういうことです?」

相変わらずどこかとぼけた虎徹には、慣れてきたのでさして目くじらをたてることもない。まだまだ理解できない彼女のことを、バーナビーは知ろうと無意識に努めた。

「警察官なんてやってっと、同世代のヤツと楽しく喋るなんて機会、多くねえんだと」

警察官という仕事は、まず忙しい。ただでさえ交番に勤めるは、当番が交代する翌日の朝までは交番にいなければならないし、生活が不規則になりがちで、他人と生活サイクルが合わない。同期の警察官もいるものの、配属先が違ったりと顔を頻繁に合わせることもないようだと、虎徹は言った。相変わらず、彼女のことに関して虎徹は詳しい。何度も助けられたと彼女は言っていたが、一体いつからそのような付き合いがあったのかは、バーナビーには見当がつかなかった。

「俺はあいつと仲良いほうだとは思うが、やっぱ年が近いっつーのはまた別だろ。ちょっとくらい大目に見てやれ」

なんとなく返す言葉が見つからず、バーナビーは紅茶を口にした。同世代の友人と呼べる者が多くないことに関しては、自分も似たようなものであったし共感する部分はある。それでも近ごろは他のヒーローたちと共に過ごす時間も多く、物足りなさを感じることはバーナビーは少なくなってきてはいる。が、彼女はどうだろう。仕事の内容を詳しく知らないまでも、虎徹の話を聞いた限りでは、どこか寂しい思いを抱えているのではと感じた。

「それに……いや、これは俺が言うことじゃねぇか」
「? 一体なんです」
「いや、気にすんな。とにかく、と仲良くしてやってくれ」

キャスケットを抑えながら言葉を濁す虎徹の言う事は、まるで父親であるとか兄が発するような台詞だった。呼び名に関しては、どうやら少し妥協するしかないようだと、バーナビーは息を吐く。
静かに紅茶をすする音だけが、しばらく二人の間に流れた。

「ただいまー」
「おう、おかえり」
「おかえりなさい」

無事に女性を送り届けてきたらしいに二人が声をかけると、彼女は一瞬びっくりした顔をしてバーナビーを見た。自分の方を向いて固まるに、いぶかしむようにバーナビーが視線を返す。はへにゃりと笑って、「バニーちゃんに言ってもらえると思わなかったぁ」と言った。彼女はこういう顔もするのだと、バーナビーは素直に思う。安心しきったような表情のは、幼い子どものようでどこか愛らしくもあった。
は置き去りにしていた自分のマグカップをひっ掴むと、一旦奥の部屋へ入っていく。どこかゆるゆるとした表情のままの彼女は、傍目から見ても上機嫌だ。その様子を目で追ってから、バーナビーが正面を向き直すと、にやにやとした笑みを浮かべた虎徹がこちらを見ていた。

「…なんですか」
「いーや?」

意味ありげな笑みが、どうも気に入らない。文句を言おうとバーナビーがまた口を開いたのと同時に、交番内に電話の音が鳴り響く。が電話をとろうと奥から慌ただしく戻ってくると、今度は虎徹とバーナビーの左腕につけたPDAからも呼び出し音が響いた。

「はい。…はい、わかりました。準備が整い次第すぐに向かいます」
『ノースシルバーで事件発生よ。ただちに現場に向かって頂戴』
「「了解」」

互いに本業の呼び出しがかかったことにより、今日はこれで休憩は終わりのようだった。PDAに短く返事をした二人が、立ち上がってを見る。で準備に追われ、せわしなく部屋を動き回っていた。タイミングからして、どうやら同じ事件であるようだ。

「ノースシルバー?」
「おう、もしかしたら現場で会うかもな」
「私はここ無人にするわけにはいかないから、行っても誰か戻ってきてからになるかも」
「そっか、じゃあまたな」
「お茶、ご馳走様でした」
「はーい!また今度ね!」

がひらひらと手を振るのを見てから、バーナビーたちは背を向け走り出す。その背に、一際大きな声でが一言だけ投げかけた。

「いってらっしゃい、ヒーロー!!」




(…これは気を引き締めていかないといけませんね、)