「バニー!!」

ある日の昼下がり、そう自分を呼ぶ声にバーナビーは足を止めた。

「…こんなところで何してるんですか」

バーナビーはその日、昨晩から昼食は社食ではなく会社の外に出てどこかしらで食事を摂ろうと決めていた。なんてことのないよくある思い付きというもので、別段深い意味はなかった。ただ自分のパートナーである虎徹が、昼休みに入る少し前に席を立ってどこかに消えたことに気付いてはいた。バーナビーが出てくる際にちらと見た虎徹のデスクには、おそらく途中で投げ出されているであろう書類が何枚か散らばっていたため、戻って来たら小言のひとつでも言ってやろう。そう軽く意気込んで、ひとまず食事にと外へ出てきてみれば、アポロンメディアに程近い、レストランやカフェがある通りに行く途上にある交番。そこを通りかかった時、もはや聞き慣れたパートナーの声が、突然バーナビーに投げかけられたのである。

ゴールドステージにあるせいか妙に品のいい交番のガラスのドアは開け放たれ、中にある白いデスクが顔を覗かせていた。デスクの側にある椅子に腰かけた虎徹は、声をかけた後まずひらりと手を振ってから、そのままバーナビーに向かって手招きをする。バーナビーは少し思案した後、ため息をひとつ零して虎徹に従った。交番の中、虎徹がいる部屋には彼以外に人はいない。来客用といわんばかりに中央に置かれたシンプルなデスクに歩み寄った。

ヒーローという仕事をしていて、警察と関わるようなことは事件発生時以外には基本的にない。というかそれ以外にあってはならないとはバーナビーは思うが、それならば何故虎徹が交番などにいるのか。信用していないわけではないが、正義の壊し屋の異名を持つ虎徹が、また人助けをしようとして何か壊してしまったとか、と考えてしまうのが正直なところであった。

「まさかとは思いますが、何か不祥事を起こしたとかじゃないでしょうね」
「ひっでえ!何もしてねーって!俺まだ信用ねーのかよ!」
「どうせおせっかいを焼こうとして悪い方向に進んだとかじゃないんですか」
「違うっつの!!」
「先に言っておきますけど、僕の知らないところで起きたことはフォローできませんから。自分でなんとかしてください」
「だぁからまず俺の話聞けって…」

どこか脱力した虎徹が、デスクに肘を置いたとき、奥の部屋から人が現れた。警察官の制服姿で手にマグカップを2つ持ち、どこかびっくりしたような顔でこちらを見る女性だった。女性、というにはどこか幼さの残る顔立ちの彼女は少し微笑んで、虎徹の前と自分の手近な位置に持っていたマグカップを置く。虎徹が述べた小さな礼の言葉を受け取ると、彼女はまっすぐ、バーナビーを見て言った。

「噂のヒーローは、TVとだいぶ印象が違うね」


#01


最初にその言葉に反応したのは虎徹だった。お前それ本人がいる目の前で言うかと、おかしそうに笑っている。対してその言葉を向けられた相手であるバーナビーは、状況をうまく飲み込めずにいた。

「虎徹さん」
「ん?」
「どういうことですか」

そう率直に訊く以外、バーナビーは最善の策を見つけられない。虎徹は相変わらず笑ったまま、一口だけマグカップに注がれていたコーヒーをすすった。「何もしてねーって言ったろ」それだけ言うと、虎徹はまたコーヒーを飲み始める。

「彼女は」
「ちょっとした知り合いだ」
「全然ちょっとじゃないじゃん。週1で来るくせに」
「友達っつーのもなんか変だろ」
「…それもそうか」

途中で口を挟んできた彼女はどうやら虎徹とそこそこ親しい間柄のようであった。バーナビーよりも年下であるようにしか見えないのに、虎徹に話しかける言葉に遠慮がない。見た目からして東洋系なこともあり、お互いに通ずるところもあるのだろう。虎徹という人間を、短い間ではあるものの共にしてきたが、やはりまだ知らないことのほうが多いのだとバーナビーは感じた。

「どーも、あなたの相棒のちょっとした知り合いの、です」
「…バーナビー・ブルックスJr.です」
「虎徹さんから話は聞いてるよ。あ、コーヒーでいい?」
「いえ、僕は別に、」
「ちょっと待ってて」

はバーナビーの言葉を最後まで聞かないまま、その高く結った髪を揺らしてまた奥の部屋へ戻っていく。話を聞いているのかいないのかわからない、どちらかというと世話焼き気質にも受け取れるあの態度は、バーナビーには覚えがあった。
東洋人とはたいていこんなものなのかと疑問に思っていると、座っていた虎徹と目が合う。

「まあ座れよ」

立場からしてここは本来虎徹がいるべき場所ではないにも関わらず、彼の態度はまるで自分がその場所の主であるかのような振る舞いな気がして、バーナビーはますます疑問を持つ。とりあえず言われた通り虎徹の向かいに座ると、早々に切り出した。

「さっきも言いましたけど、こんなところで何してるんです」
「何って、見りゃわかんだろ。休憩だ休憩」
「休憩って…ここは喫茶店じゃないんですから」
「んなことわかってるよ」
「はーいコーヒーどうぞ」

いつの間にか戻ってきたが、バーナビーの前にマグカップを置く。小さく「どうも」と返すと、はにっこり笑ってから、虎徹の隣に腰を下ろした。ちょこんと座って両手でマグカップを持ちコーヒーを飲む姿は、やはりどこかあどけない。バーナビーもいったんコーヒーを口にすると、その動作の間を埋めるようにが口を開いた。

「でも虎徹さんの言う通りで、虎徹さんはここに休憩しに来てるだけなの」
「は?」
「同僚が外にご飯食べに行ったりパトロール行ったりで今ここ、私しかいないんだけど、そういう時を見計らって、虎徹さんが顔出しに来るんだよね」
「そ。んで茶とか飲んで喋って適当に帰んだよ」
「……はあ…」

なんというか、かける言葉が見つからなかった。バーナビーは相づちのようなため息のような声だけ出して、半ば呆れた顔で二人を見る。確かにちょっとした知り合いで、虎徹は確かに休憩しているだけではあるが、常識など他のことを含めて考えると、やはりどうもヒーローが交番に転がり込んでいるというのは世間体的にどうなのかと思うのが自然であった。

「わり、便所借りる」
「はーい」

そう言って虎徹は席を立ち、慣れた様子で奥へと向かっていった。必然、バーナビーとが2人きりで取り残される形になる。バーナビーがのほうへ視線をやると、一瞬、の視線とかち合った。

「…貴女、虎徹さんとはいつから」
「うーん…こうして仲良くなったのは最近だけど、最初に会ったのは結構前かな」
「ヒーローだということも、知っているんですよね」
「うん。虎徹さん…ワイルドタイガーはね、私にとってのヒーローなの。職業上、ヒーロー好きってあんまり公言はできないけど…でも何度も助けてもらったから」
「へえ…ヒーローの中でもあの人が好きだなんて、珍しい人もいるんですね」
「それ、本人に言ったら怒っちゃうから駄目だよ?まあ他のヒーローは…特に交流もないしさ。名前はわかるけどね」

会ったばかりのバーナビーとの会話を戸惑う様子もなく、ころころと表情を変えながら楽しそうに話す姿は好感が持てる。なるほど虎徹さんが仲良くするだけのことはあると、バーナビーは一人納得した。「あ、でも」が気付いたように声をあげる。

「こうしてシュテルンビルトを救った英雄さんと話ができるとは思わなかったかな」
「…どういう意味です?」
「別に、そのまんまの意味だよ。有名人と話をしてるって変な感じだもん」

その割には、萎縮するでもなくバーナビーに向かってからかうような言葉をかけてくるし、普段の姿のままというように見える。今日初めて会うのだから、バーナビーには彼女の普段の姿が本当はどのようであるのかはわからないけれど。

「最初さ、TVと印象が違うって言ったけど、虎徹さんから話聞いてたのもあるし、私は今のほうが素っぽくて好きかな」

それこそどういう意味かと、バーナビーが問いただそうとした矢先、虎徹がトイレから戻って来た。虎徹は何の話だ?と興味ありげに二人に問いかける。

「うん?本物のバーナビーだなーって。ね」
「え?ああ、まあ…」
「何だよー俺だって正真正銘本物のヒーローだっつうのに」
「虎徹さんはもう見慣れちゃったかなあ」
「おまさらっと傷つくようなこと言うなよ…」
「あ、ねえそれよりもうそろそろ時間なんじゃないの?平気?」
「やべ、もうそんな時間か…なんか適当に飯買って戻んねーと」

が何故バーナビーとの会話の内容を濁したのか、そもそもが一体どんな人物かも把握しきれていないバーナビーにはやはりわからない。気付けば時計は昼休み終了15分前を指していて、偶然開かれた3人の会合はそろそろ終了であると告げていた。虎徹は立ったままカップに少し残っていたコーヒーを口に流し込んで、「ご馳走さん」と言って出口へと向かう。バーナビーもそれを追うように慌てて立ち上がった。

「じゃ、またな」
「あの、コーヒー、ご馳走様でした」
「いーえー」

交番を出る二人を見送るため、も立ち上がる。笑って小さく手を振ると、バーナビーはまた目が合った。はほんの少しだけ驚いたように目を見開いて、再び笑顔で、こう言った。

「よかったらまた来てね、『バニーちゃん』」
「…バーナビーです」




(ちょっとおじさん、どういうことですか!)