「おはよー」
「おはよう。風邪はもういいのか?」
「うん、もう大分平気。色々ありがとね、大和」

6月。皆がすっかり袖の長い服から半袖へと装いを変え、暑さに耐える時期となった。
季節の変わり目だからか、顔色が優れない日が続いていたは、先日ついに体調を崩して欠席した。入学以来、病気とは無縁だとばかりに笑う元気な彼女が休むなんて、一体何があったかと思ったものだが、気付けば見舞いに行く算段を整えていた自分には驚いた。
「礼には及ばないさ」
「そういえば、大和が来てくれたときうちの弟が出たんだよね」
「ああ」
「…なんか変なこととか言われなかった?」
「いや?弟は…今中学生か?」
「うん、今中1」
が欠席したその日、授業のノートを書き写したものと、適当に買ったアイスを持って彼女の家に訪れた。風邪で寝込んでいるがひとりでいるとはさすがに思っていなかったが、弟が迎えてくれるというのも予想外だった。俺は彼に言伝と届け物を頼んですぐに帰っただけだし、その時特に何か言われたという訳でもない。ただ少し睨まれていたような気もするが、あの年頃特有の反抗的な目は自身の弟に重なる部分もあり、可愛らしいものだ。
朝のHRの時間を告げるチャイムが鳴る。さて、病み上がりの友人が無理をしないように、今日も隣の席で見守るとしよう。


「花梨!」
「わ、ちゃん、今日も来てくれはるんですか?」
「まーね!」
が初めて部活を見に来た数日後。帝黒アレキサンダーズにまた1人、新たなメンバーが加わった。あの鷹が才能を見込んで引き入れた投手(クォーターバック)、小泉花梨。女性ではあるが、帝黒(うち)では実力が全てだ。実力があるのなら、女子であろうと起用する。最強であり続けるためには何も惜しまない。それが帝黒アレキサンダーズの方針だからだ。
とはいえそんな男所帯に突如として入ることとなった花梨は、当初はチームに馴染めずにいた。そんな花梨と一番早くに打ち解けたのがだった。アメフト部に選手として入った女子がいると聞いて、自ら進んで俺について来たのだ。いざふたりが会ってみれば同じ女子同士仲が良くなるのは早く、今ではたまに昼食を共にするようになるほどだ。
そしては花梨と仲良くなるのと比例するように、アメフト部に顔を出す日が増えた。最近ではただ見ているだけでは悪いと、マネージャーのような業務も手伝っている。(一部の部員にはもはやマネージャーだと思われていることを、彼女はまだ知らない。)
「ドリンクどうぞー」
休憩中にぱたぱたと駆け回り、部員に笑顔でドリンクを手渡すに近寄って、「はいどーぞ」「ありがとう」ボトルを受け取る。
「だいぶ手馴れてきたんじゃないか?」
「そうかな?あ、鷹くんもどーぞ」
「ありがとう」
同じく近付いてきた鷹に、またボトルを渡す。今ので、が持っていた分はなくなった。は空になったカゴを両手で持つと、俺たちを見上げる。
「もうすぐ準決勝だね」
「観に来るの?」
「行こうと思ってるよ」
大阪大会で順調に勝ち進んだ俺たちは、関西大会でも手堅く勝ちを得た。今週の日曜は、気付けば準決勝だ。は練習にはよく顔を出すようになったものの、試合を観に来ることはあまりない。ルールは少しずつ覚えてきているのだから、もっと観に来ればいいのに。そんなことを思ったときもあったが、彼女は日曜はたいてい予定が入っているらしい。
そんな彼女が珍しく試合に来るとあれば、気合も十二分に入るというものである。(まあそれに関わらず、手を抜くつもりなんて全くないけれど。)
時刻はもうすぐ6時になろうとしていた。夏となった今、日が落ちるのにはまだ時間がある。練習が終わるのは、少なくとも辺りが暗くなってからだ。
「この時間までいるってことは、今日も最後まで?」
に問えば、「うん」と短い返事が返ってきた。手伝いに来るといっても、彼女が練習の最後まで残ることはあまりない。バイトでもしているのか、6時前には既に帰っていることのほうが多かった。確かうちではバイトは禁止だったような気もするから、何故早く帰るかは詮索したことはない。
「なら、今日も送っていくよ」
以前が練習の最後まで残っていた時、1度だけ彼女の家まで送ったことがある。あの時は、が風邪を引く前、少し顔色が悪いというのに何故か残っていたものだから心配で送り届けたのだ。風邪を引いたの家に見舞いに行けたのは、その時の経験が記憶に新しかったからだ。
別に今日は、の顔色が悪いというわけではない。病み上がりではあるが、それなりに元気のように見えるから大丈夫だろう。ただ俺が言い始めた、部活に来てほしいという我儘に付き合ってくれた一人の女の子を、暗い夜道の中帰すのは忍びないと思うだけで。
「え、いいよ別に」
悪いし、と慌てるように言うの声に重なって、「休憩おわりー」という声が響く。キャプテンのもとに集まろうとする部員たち。俺たちも遅れるわけにはいかない。鷹はすでに走り出していた。俺は空になったボトルをに押しつけるように渡して、「いいから、終わったら待っててくれ」とだけ言い残して鷹の後を追った。背中の方から聞こえるの焦ったような声は聞かないことにする。鷹の横に並ぶと、鷹は俺を見て呟いた。
「…大和って、」
「ん?」
「…いや、なんでもない」
最後まで聞かせてくれよと言う間もないまま、練習は再開された。


結局その後はと顔を合わせぬうちに、練習が終わった。顔を合わせてしまえば念を押して断られる気がしたから、やや避けていたと言ってもいい。逆に言えば、俺の一方的な約束だけが2人の間にあるなら、彼女はそれを破ることはしない。彼女は律儀だから。先日の見舞いの際にようやく交換した連絡先に、『先に帰るね』と残したっていいくらいなのに。着替えながら鷹にその旨をざっくり話すと、鷹の目がこちらをじっと見つめてくる。
「どうした?」
「……別に」
そういえばさっきもこんなやり取りがあった、と鷹を問いただそうとするが、「それより、待ってるんじゃないの」という鷹の言葉に、急いで支度を済ませてロッカールームを飛び出した。「じゃあ鷹、また明日!」「ああ」
外に出ると、すぐ斜め前の柱に寄り掛かるようにしてが立っていた。ぱっと視線を上げた彼女と目が合って、とたんに拗ねたような顔を向けられる。
「ごめん、待たせたかな」
「…そんな待ってない」
「そうか、じゃあ帰ろう」
部室棟を出て、と2人並んで歩く。空はもう暗い。
「なあ、
「なに?」
は顔を上げた。頭ひとつ分身長が違うせいもあって、(というか、俺の場合大体の女子は頭ひとつ分以上背が小さい)座って話すとき以外は彼女に見上げられるのが常である。
「なんか怒ってる?」
「………………いや?」
「意味ありげな間だな」
言い終わった後に視線をそらして、ふいとそっぽを向いたの顔を見るに、そこまでは怒っていないらしい。原因はまあなんとなく、わかるけれど。
「怒って……怒ってんのかな、よくわかんないや」
「はは、なんだいそれ」
は首をかしげて、うーんと唸りだした。するとハッと気付いたように勢いよく俺のほうを見る。さっきまでの顔とは打って変わって眉尻が頼りなく下がっていた。
「ていうかそうだよ、大和こっち来たら遠回りじゃん。だからいいって言ったのに…」
「ああ、それはいいんだ。構わなくていいよ」
「て言っても申し訳ないんだってば…」
はあ、とが息をつく。当の本人である俺がいいと言っているのに、何が納得いかないのだろう。
「最初に部活に来てくれって言い出したのは俺だろ? そのせいで帰りが遅くなってるんだから、当然じゃないか」
自分で言っていて、なんとなく全てが本音ではないような感じがした。真正面に来るべきボールを腕だけ伸ばして取ったときのような、核心のほんの少し横。
「大和ってこう…変なとこ真面目だよね」
「……」
――義務だと思って、しているわけじゃない。きっと真面目なわけでも、彼女みたいに律儀なわけでもないんだ。
「大和?」
気付くと、は数歩先で立ち止まり振り返って俺のほうを見ていた。無意識のうちに歩みが止まっていたらしい。
ぽつぽつと立つ街頭の青白い光が照らす闇の中で、彼女の顔だけがやけにハッキリと見えた。
「……ああ、そうか」
「? どしたの」
考えるまでもないことだった。建前じみた理由を言ってみせた数分前の自分が馬鹿らしく思える。
「悪い、さっきの訂正するよ」
「へ?」

「単純に、と2人で帰りたかっただけみたいだ」

そう言ったら彼女は一瞬目を丸くして、バッと向こうを向いてしまった。
あれ、偽りなく本心を言っただけだったけど、何か変なこと言ったかな。






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