「大和猛って、すごい狙ったような名前だよね」

4月。早くクラスの面子に馴染むためにと行われた席替え。一番後ろの窓側の席。そこに座ることとなった俺の唯一の隣人が発した最初の一言がこれだった。
「そんなこと言ったっけ」
その隣人は、あっけらかんとして紙パックのジュースをすすっている。あれからひと月。
ゴールデンウィーク明けに、再び席替えが行われた。身長が高いからと、また一番後ろ、窓のすぐ隣におかれた俺は、前の隣人に代わる新たな隣人は誰かと考えていた。くじを持ったクラス委員が机と机の間の列を行き来する。俺のすぐ傍に来たとき、隣の彼女がくじをぱっと手に取って開いた。顔をあげて黒板に書かれた図を照らし合わせる。彼女は驚いたように一度目を瞬かせると、俺の方に向き直って言った。「またしばらくよろしく」と。二回連続で同じ席、なんてのは確率的にはまれなことだが珍しくはない。他のものが荷物を持ってあわただしく席を移動する中、俺とその隣人の彼女――は2人、いつものように言葉を交わしていた。それが3日前。
は机に置いてあった菓子パンの袋を開けかじりつく。
あの後、担任から「一学期中はもう席替えしない」との宣告があった。主に一番前の席になってしまった者たちから盛大なブーイングが彼に浴びせられたが、俺はむしろよかったと思っている。誰が隣になってもうまくやる自信はある。けれど、隣でパンを頬張る思いきりのいい女友達に、他の人より興味を持ってしまったのは確かだ。今日の彼女の昼食はついさっきまで食べていた焼きそばパンと今口にしているあんパンのようだ。
「ヤマトタケル、ヤマトタケルねぇ…」
食べる合間に、小さくがつぶやく。おそらく自分のことを指してはいないのだろうが、響きが同じだけにやはり反応してしまう。あんまり連呼されると照れるよ、と笑って言えば、「大和のことじゃなくて」と返される。その時少しこちらを向いた彼女の口の端に、赤茶色のものがついているのが見えた。それと同じ位置を自分で示す。
「ついてるよ」
「え、あーホントだ」
は指であんを取ると、ちろりと舌を覗かせて舐めた。「で、ヤマトタケルがなんだって?」再びパンにかじりつこうとしたに問いかける。「どーいう人だったかなと思って」言った直後に、彼女はパンにかぶりついた。咀嚼したそれを飲み込んでから、またぽつぽつと言葉をこぼす。
「大蛇を斬ったのは違う人だしなぁ」
「それはスサノオノミコトだね」
「そうそうそれそれ」そしてまたかぶりつく。残りがもう少ない。
「ヤマトタケルは、あれだよ、クマソを倒した、」
「あーはい、女装して忍びこんだやつか」
はぐ、とは口の中に残りのパンを放り込んで、何回か噛むと、流しこむかのようにジュースを口にした。小さな喉がわずかに動く。それからじっとこちらを見つめてきた。
「え、なに?」
「いやー、悪者は倒せそうだけど、こんなでかいヤツが女の格好は怪しまれるでしょ」
けらけらと笑って彼女は言う。なんて想像してるんだこの子は。
「鷹くんだったら平気かもだけど」
「鷹だって女にしたら大きいだろ」
「190もある大和より遥かにマシ」
ずずー、と音を立ててはジュースをすすった。飲み干したらしく、「ごちそうさま」と誰に向かってでもなく言う。
話に上がった本庄鷹その人と、が初めて会ったのは、4月末のことだった。
名高いプロ野球選手、史上最強の野手本庄勝の息子。スーパースターの血を受け継ぎ、少年野球ではもはや敵なしの天才。彼と会ったとき、ほとんどのものはそのことで彼に敬意を抱き、崇高な人物としてやや距離を置く。彼女はといえば、俺が仲介して互いを紹介したとき「よろしく!いやーすごいねぇ」とまず言った。横目に鷹が目を伏せるのが見えた。けれど続いた彼女の言葉に、珍しく驚いた顔をした。「私銀髪のひとって初めてみたよ!」思わず吹き出してしまったのを覚えている。
「しかも長いし。鷹くん美人さんだね」
「…男なのに美人、って言われてもね」
ふ、と鷹が笑ったときは、この女の子はやはりすごい子だなあ、と改めて感じたものだ。結局彼女が鷹の父親がプロ野球選手であると知ったのはその後のことだった。(「へーすごいね!」と言ってから「でも名前しか聞いたことないや」と笑って言っていた。)それ以降も、は特に鷹と距離をおくでもなく、俺と同じように接している。彼女の中ではきっとあの鷹も、”銀髪美人の野球が上手らしい男友達”なんだろう。ちなみに俺は多分”アメリカ留学したことがあるやたら大きい男友達”くらいか。なんだか少し悲しいような気もするが、「友達」ということ以外は彼女にとってそれほど重要じゃないということだ。周りから注目されがちな俺たちを最初から特別扱いしない人というのはなかなかに珍しい。
「そういえば、今日ってどーすればいいの?」
ふいに、が俺に向かって言う。彼女の指す今日、は授業が一通り終わった後、つまり放課後どうするか、という意味だ。事の発端は俺の何気ない誘いの言葉だ。部活を見に来ないか。そう言った。最初に言ったときは予定があるし、そもそもアメフトがなんなのかよくわからない、と軽くあしらわれた。めげずに何度か誘いをかけ、あまりしつこく言うと余計来てくれなくなるかも、と俺が懸念を抱いたころに、「行ってもいいよ」と返答されたのだ。俺が好きなことに友人が興味を示してくれるというのは、素直に嬉しい。
「話は通してあるから、俺と一緒に来てくれればいいよ」
「わかった」
こんなに放課後が楽しみなのは、久々だ。

さて、のアメフトに関する知識といえば、楕円形のボールを持ってぶつかり合うこと、俺がボールを持って走るポジションであることと、鷹がボールをキャッチするポジションであることくらいだ。タッチダウンが6点でキックが3点だということを教えた気もするが、彼女が覚えているかは謎だ。中高大と続くエスカレーター式の帝黒に、親の転勤に合わせて入った外部生の彼女は、うちがアメフトの強豪校であることなど露ほども知らなかった。俺がアメフト部に所属していると言ったときは「へー、アメフト部なんてあるんだね、ここ」とさえ言った。ルールなんて理解しているはずがなかった。
が今日の見学を通してアメフトそのものに興味を持つかは断言できることではない。だが、そう思ってくれるように精一杯やるだけだ。

隣の席で彼女が荷物をまとめ終わるのを見計らって、自分の荷物を持って立ち上がる。「行こうか」「うん」並ぶと頭一つ分はゆうに低い彼女の顔は、いつもより心なしか嬉しそうだ。単なる好奇心か、それとも友人の俺への理解の一歩か。後者だったら嬉しいことこの上ないが、彼女の場合は前者の気もする。それでこそ彼女だと思うけれども。ふと前を見れば、同じ方向に向かう鷹がいた。あの長い銀髪の持ち主が、この学校で鷹以外にいるだろうか。
「鷹くん!」
のその声に鷹はゆっくりと振り返ると、自分に向かって手を振るとその隣にいる俺を見て、少しだけ目を見開いた。
「… 。珍しいね」
「見学させてもらうの、アメフト部」
俺と鷹でを挟むような形となってから、また並んで歩き出す。鷹は彼女の言葉を受けて俺に視線をやると、
「よかったね、大和」
と小さく笑った。そんなに俺はに来て欲しそうにしていたのだろうか。まあでも、嬉しいのは確かだ。
「ああ、が見るなら、俺も頑張らないとな」
「…あまり頑張りすぎると、誰も相手できなくなるよ」
「…大和ってそんな強いの?」
「強いよ」
「はは、鷹もだろ」
「へー、早く見たい!」

さあ、今日も部活だ!