※三成の家族についての捏造を含みます






夏。
昔は長い休みがあって、眩い日差しと青い空に導かれるようにそこかしこ駆けまわっていたはずなのに、"暑くて動きたくない"と思うようになってしまったのはいつの頃だったろうか。
それこそ幼少期だった頃よりは温暖化だなんだと声高に叫ばれ、そもそもの気温が当時よりも上がっているとはいえ――それだけが理由でないような気がする。
社会に出れば学校にあったような"夏休み"なんてものとは縁がなくなって、限られた休みの日を休息に当てて、たまに出かけてはうだるような暑さに舌を出したくなってしまう。
それでもやっぱり夏の青空に呼ばれているような感覚だけは覚えるから、なんの計画もなしに「少し遠出したい」という気ままな思い付きを三成に投げかけた。
何度見ても人より青白い肌の三成には夏に呼ばれる感覚などわからないだろうと思っていたら、彼は却下するでもなく「何処にだ」とだけ不機嫌そうに返してくる。
「え、…緑が多いとことか?」
否定されないことに驚いてしまって、行きたい特定の場所もなかったためふわふわと形にならぬ希望を伝えてみる。
せっかくなら毎日見ている都会の風景から離れたい。夏空に呼ばれるまま、生い茂る木々に見守られながら外を歩きたかった。
私の答えの曖昧さに眉間の溝を深めてしまうかもという危惧をよそに、三成は床に視線を落としひとつ考え込むと、目的地を定めたようで早々に立ち上がった。
「ならば早く支度しろ」
「あっ、うん」
融通の利かなさとは裏腹に、"思い立ったら即行動"タイプである彼は、こうして意図せず意表をついてくることがたびたびあった。
三成に比べたら幾分かアクティブな私ですら暑さを理由に外出を控えていたのに珍しいこともあるもんだと、手早く身支度に取り掛かる。
冬の象徴みたいな銀の髪と通年青白いままの肌を持つ彼も、もしかしたら夏に呼ばれたことがあったのかもしれない。
暮らしを共にするようになってある程度経つのに、まだまだ知らないことがあるのだと思いながら、三成に導かれる先に心躍らせた。


そうしたやりとりの後、1時間半ほど電車に揺られて辿り着いたのは、都内にしては山と田畑が多く広がる田園地域だった。
だからといって山登り初心者が集うハイキング向けの山があるでもなく、これといって人の集められそうな観光スポットみたいなものはない。
やや寂れた駅の出口近くに掲げられていた周辺案内図を見ても特に得られる情報はない。
「祖父の墓参りに行く」
電車の中で目的地を訪ねれば、三成は窓の流れていく風景を見ながらそう答えた。
なるほどその"目的地"に、或いはその途上に私の求める”夏の景色"が存在するのかもしれない。
無機質な高い建物がすっかり現れることのなくなった窓の外を彼に倣うように眺めて、家を出る前の様子に納得する。
付き合う前もその後も、三成は生い立ちだとか過去の話をすることはほぼなかったので、律儀に墓に参りたいほどの親類縁者がいることに少しだけ驚いた。
この何もない、良く言えばのどかなこの町に、三成が大切にしたいと思うものがあるのか。
少し前の駅で降り予め買った花を片手に山のほうを見つめる彼の背を見つめていれば、「行くぞ」と短く声掛けられ、慌てて先ゆくその背を追った。

小ぶりな駅舎を出た途端、照り付ける日差しに目が眩む。
じりじりと照り付ける日差しの暑さに、朝の自分の思い付きの発言を少しだけ後悔する。
昔の暦の上ではもう秋に差し掛かっているはずなのに、太陽光の勢いの良さはまさに盛夏と呼ばれる時期に相応しい。
日傘を差していても髪の生え際からじわりと汗が滲み出してくるのを感じながら視線を先にやれば、日陰になるような木々もない開けた道のりに再びくらりと眩暈がした。

それから代わり映えのしない景色の中を黙々と歩いてしばらく、最初よりも山が近くに感じられるようになると、耳に入る蝉の鳴き声も段々と大きくなっていった。
都会に住んでいるとめっきり聞く機会の減ったその音は、決して心地の良い音色ではなかったがどこか懐かしく、ささくれ立つ心がなだらかになっていくようにさえ感じる。
私が朝気まぐれに緑のある場所を求めたのは、その色彩や木々がもたらす澄んだ空気だけじゃなく、それをとりまく音や光、そういったもの全てが恋しかったからなのかもしれないと。

程なくして辿り着いたのは、山のふもとにある寺院だった。
高さのある木が周りを取り囲むように並び立ち、先ほどまで歩いてきた炎天下の道と地続きであるはずなのに、全く別の世界のようだった。
ところどころ差し込む木漏れ日の眩しさだけが、太陽は同じであると告げている。

「…ここ?」
「……ああ。祖父がここの住職で、私も幼い頃はここで何度か世話になった」

そうなんだ、と相槌をうちながら、唐突に明かされた三成の過去に静かに驚く。
口数の少ない三成はそれ以上の詳細を語ろうとはしないが、おそらくそれなりの期間をここで過ごして、彼というものが出来上がってきたのだと推察するに容易かった。
規律に厳しく、どこか古めかしく堅苦しい話し方のルーツのようなものがここにあるのだと、妙に納得もした。
慣れた様子で墓地の方へ向かっていく三成の後を追う。墓地のあたりはいっそう静かで、喧しく聞こえていたはずの蝉の声ですらどこか遠い。
足を止めた三成の隣に並び、お参りの準備を手伝いながら、三成の幼き頃に想いを馳せる。
周りに自然しかないようなこのお寺で、この冬みたいな人はどうやって過ごしたんだろう。
冬はそれこそ今みたいに、似合う冷たい空気を背負いながら、鼻や耳の先を少しだけ赤くしていたかもしれない。
秋には降り積もる落ち葉を集めて、焼き芋でもしていたのかな。でも三成は小食だから、芋をおやつに食べたら夕食に差し障りがあるからあんまり食べてなさそう。
春が来たら冬になりを潜めていた草花が芽吹いていくのを感じて、誘われるように散歩していたかも。
じゃあもしかしたら夏も――小さい頃の私みたいに、眩い日差しと青い空に呼ばれて、外に出ていたかもしれない。
そしてきっとお盆が近くなる時期に、今みたいにお線香のにおいを感じていたのだろう。
切れ長の目をかたく閉ざして、それでも顔はどこか穏やかに、手を合わせてお祖父さんのお墓と対面している。
真摯に祈るように動かない三成の首に、つうと汗がひと筋つたっていく。
木漏れ日の光できらめくその水滴に見とれていると、「」と穏やかに名を呼ばれた。
私は今のところ三成とだって赤の他人のままだけど、それでも彼を形成した一部に確実になっているであろう人にお礼くらいはするべきだなと、そっと手を合わせた。



とはいえお墓参りにかかる時間なんてものは大したものじゃない。
用が済んだとばかりにさっさと「帰るぞ」と言う三成に置いて行かれぬよう、後ろ髪引かれつつも足を動かした。
境内を抜け、敷地の外に出れば再び勢いの衰えぬ日差しの下に出る。
こちらを焼かんばかりのそれにうんざりしながら、仕舞い込んでいた日傘を探っている私もお構いなしに三成はどんどん来た道を引き返していく。
「ちょ、」
ちょっと待ってよお。自分の声ながらずいぶんと情けない音だった。
その声が届いたかどうかは定かではないが、三成はだだっ広い田んぼに挟まれたアスファルトの上でその場に立ち止まる。

鮮やかな緑。濃くはっきりとした青空。その中にたたずむ三成は、白銀の髪と青白い肌が光を反射して、いっそう白くまばゆく見えた。
その足元に陽炎が立ち上って、地面近くの景色を幻のように揺らめかせている。
景色と共に輪郭がゆらりと滲む三成の足元を見て、自分の首を伝った汗がひやりと感じられた。

はっとして、思わず三成に駆け寄りその背に抱き着く。
まさか急に突撃まがいのことをされるとは予想していなかった三成はたたらを踏むが、それでも腕の力は緩めなかった。
おい、と咎めるように降る声もお構いなしで、手繰り寄せるように少し汗ばんだポロシャツを握り締める。
驚きからか早くなっていたらしい三成の鼓動が落ち着くにつれ、私を引き剥がすことを諦めたのか、三成は強張った体の力を抜いた。
それをいいことに更に隙間を埋めるようにぎゅうと抱き締めると、触れ合った箇所が互いの熱と汗で湿り気を帯びる。

「三成」
「…何だ」
「暑い」
「ならば離れろ」

首を振る代わりに、額をその背に強く押し付けた。
わかっている。自分の言葉と行動が矛盾していることくらい。
それでも今一瞬だけ見た光景が、馬鹿げた想像を掻き立ててしまって不安になる。

寒い冬の鋭さを凝縮したみたいな男が、陽炎と一緒に溶けてなくなってしまうんじゃないかと。

そんなの絶対に、口に出しては言わないけど。
言ったって、呆れ果てるか怪訝な顔をされるかのどっちかだ。
まだ早鐘を打つ私の心臓の音は、背中越しに三成には伝わっていることだろう。
三成は私の握り締めた手をためらいがちに大きな掌で包むと、なだめるように二度ほど叩いた。
慈しむようなその仕草をちょっとだけ意外に思いつつ、三成のお祖父さんに想いを馳せる。
おそらく厳しい人だったんだろう。だけど三成が律儀にお参りに来る相手ということは――かなり慕っていたはずだ。
たぶん、こうしてふと不器用に、三成に対して愛情を注いでいたのかもしれない。

体に腕を回したまま、ちょっとだけ身体を離してその顔を見つめてみる。
といっても背後からでは、真っ白なうなじとやや血色のよくなった耳くらいしか見えないのだが。

「三成」
「今度は何だ」
「…手つないで」

困ったように笑って見せれば、肩越しに振り返った三成が長い長い溜息をついた。
ひっついていた熱が突如離れたと思えば、勢い良く右手をとられる。どうやら私の我儘を聞いてくれるらしい。
さっきの私の一連の行動に何か思うところでもあるのか、指を絡ませるようにきつく握ってくる左手が、私にとっては何よりも雄弁に語る言葉のように感じた。