カチ、カチ、カチ。
不規則な間隔で鳴らされるボールペンの音。
それが便箋の上を滑っていく音は、外の雨音でほとんど聞こえない。
カチリ。
ひときわゆっくり押されたと思えば、ううん、小さな唸り声が三成の耳に届いた。
勤務中にも度々見たことのある姿だと思いながら、三成はテーブルに置かれたカップに手を伸ばす。
残り僅かしかないコーヒーは体温ほどにぬるい。
さっと飲み干して、未だテーブルと睨めっこを続ける彼女を眺めていると、視線に気付いたらしいがほんの少し顔を上げた。

「…え、三成、ちゃんと書いた?」
「疾く終えている」
「うそ」
「吐いてどうなる」

いいから続けろ。三成の言葉に、ですよねえ、と零してはまたカチリとボールペンを鳴らした。
そうしてまた、三成の耳に届くのは文章を書きあぐねている彼女のボールペンのノック音と、外の雨音だけとなる。
雨の勢いはまだ衰える気配がない。




事の発端は、いつも通りの思いつきであった。

買い物で雑貨屋に立ち寄った折、買う予定のなかったであろうレターセットをが買い(曰く「可愛かったから」だそうだが、必要性がないものを買う感覚は三成には理解しかねた)、帰る途上で急な雨に降られた。
雨宿りにと駆け込んだのは都内で身を潜めるように佇む小さな喫茶店で、大きな窓に面した席から雨を眺めていたが手持ち無沙汰になったのか、突如こう言ったのである。

「そうだ、コレでお互いへの手紙を書くってのはどう?」

暇つぶしに。買ったばかりのレターセットを掲げて笑う彼女の意図は、いつだって三成の理屈に当てはまることはなかった。

「……………………」
「三成がめっちゃ乗り気じゃないのはわかった」

険しい顔で言外に理解できん、と語る三成に苦笑交じりに返すは、そんな顔しなくても、と続けながらあまり気にする様子もなく袋から出した便箋と封筒を三成へと寄越す。
「おい」制止を試みる三成を余所に、「ボールペンは一緒に買ったのと、あと確か手帳に…」ぶつぶつと漏らしながらは自身のバッグを漁っており、こうなってはこれ以上言っても無駄と三成は悟った。
互いの上司でもあり三成が尊敬してやまない存在である彼女の幼馴染みには遠く及ばないが、ある程度の期間の付き合いを経て学んだことのひとつである。この我を押し通すことが、一種の彼女からの信頼の示し方であり甘え方であることも。

「はい」

そう言って差し出された新品のボールペンを受け取りながら、三成はどう早く手紙を済ませるかを考えるのに注力することとした。


元々、三成は自分の思いを言葉にすることが得意ではない。
言葉にすることが——というよりも、思っていることを正しく伝えるための言葉選びが適切ではない、といったほうが近い。
三成本人としては率直に思いのままを述べているつもりであるのだが、周りの人間曰く"誤解されやすい"言い方であるらしかった。
数少ない親しい友人や敬う上司らは、それが三成の良さの一つと捉えているかあまり気にしていないかのどちらかで、それとなく指摘することはあれど強く咎めることはない。
もそのひとりで、「三成はわかりづらくてわかりやすい」と面と向かって言い放ったのは三成の記憶に新しかった。(尤もその折は、褒め言葉であるか貶し言葉であるのか判別がつかず問い正しもしたが)

「まわりくどい言い方が大好きな幼馴染みのそばで育ってきたからね」

だから三成のストレートすぎる物言い、気持ちがいいんだ。
その言葉に嬉しさを覚える反面、比較される相手がどう足掻いても彼女の中に根付いていることにもどかしく思ってしまったことが、彼女を慕う故だと気付いたのは、それからしばらく経ってからのことだったのだが。

兎にも角にも、三成はそう自身を肯定してくれた彼女の言を鵜呑みにして、物言いを正そうと思ったことはない。
お節介な後輩から「彼女なんだからもーちょっと優しい言い方したら?」などと余計な世話を焼かれても、である。
「わかっておらぬなァ。其れは三成なりの甘えよ、アマエ」
揶揄うように言ってのけた親友の言葉を否定しはしたが、あながち間違いではないのかもしれなかった。

彼女の言葉に、自身が変われずとも傍で笑ってくれる彼女に——心の奥で感謝しこそすれ、それを伝えたことは、未だ無い。




「…できた!」

結局彼女がそう言って何度も鳴らしていたボールペンを置いたのは、三成があの後追加で注文したコーヒーのおかわりを半分飲み終わろうかとしていた頃である。
三成は口をつけていたカップをソーサーへと置き、眉をひそめて小さく息を吐いた。

「遅い」
「ごめん。……ていうか、三成が書き終わるのが早すぎ」

謝罪のあとにひとつ言い訳を付け加えつつ、は折り畳んだ便箋を封筒へと仕舞い込む。
フラップ部分を折り目にそってきちんと折り"それらしく"仕上がったことに満足げな様子で三成へと手紙を渡したは、差し出した手をそのまま宙に留め置いた。
三成はそこに自らの分の手紙を置いてやると、彼女はそれを受け取り封筒の裏表をしげしげと眺める。

「……封筒にも名前くらい書こうよ」
「……必要無い」
「あると思うけどなあ、大いに。まあいいけど」

かさり。
ほぼ同時に手紙を開くと、二人の間に沈黙が落ちる。

読み辛くはないがやや丸みを帯びた文字列を読み終え三成が顔を上げる頃には、一足先に三成からの手紙を終えたらしいがじっと彼を見ていた。
目が合う。瞬間、へにゃりと眉を下げながら笑ったの顔に、窓から陽が差し込む。

「…宝物にする」
「……勝手にしろ」

言い放ち、三成が顔を背けて窓の外に目を向ければ、いつの間にか雨は止んでいた。






秀吉様や半兵衛様に御心労を与える行動は控えるように。
刑部や左近にあれこれ吹聴する事も。
私の側に貴様が在る事には感謝する。

石田三成