※花火を行う際は自治体のルールをご確認ください












風物詩。その土地の季節を特徴づけ連想させる、文化・食べ物・植物、行事などの事柄のこと。
公園のベンチで携帯電話片手にわざとらしく淡々と読み上げるの横顔を見ながら、イワンはふむ、と思案した。
人工的に階層に分けて建てられた、昼も夜も忙しないここシュテルンビルトにも、思い当たる節はいくつかある。
1年のシーズンの節目の秋は、木々が赤く色を変え心地よい風とともに運ばれてくる別れと出会い。そんな中、HERO TVの年間ランキングとMVPの表彰式に人々は一喜一憂して、場合によっては応援するヒーローを検討し直したりする。(現状、ランキングのぶっちぎりトップはジェイク事件以降も活躍めざましいバーナビーさんで、僕も頑張ってみてはいるけど最下位を免れるか否かの瀬戸際というところだ。勿論それは、ちゃんには内緒だけど)
澄んだ空気が綺麗を通り越して鋭利さすら感じさせる冬は、そこまで積もりこそしないが雪。それから元々ネオン溢れるこの街をイルミネーションで更に眩しくさせるクリスマスと、ニューイヤーを祝うべく浮かれる人々。
やや長い冬を耐え忍んだ草花が花開き、木漏れ日が優しく降り注ぐ春には、この街独自の行事であるジャスティスデー。その祝祭に向けて増えていく青い蟹の飾り付けや記念グッズ。
そして夏。誰もが欲しがりそこかしこの店で充実していくアイスのラインナップ。街から外れた郊外の山麓や海で開かれる夜の野外イベント。それから――

「夏っぽいこと、全然できなかったな」

イワンの思考を遮るように、はぽつりとそう零した。
夏の終わりが迫りつつある今日このごろ、日はまだ長く、夕暮れ模様の空とはいえ時間はほとんど夜に近い。
差し込む西日に眩しそうに目を細めるの表情は、不満そうにも、置いていかれる子どもの拗ねた顔のようにも見えた。

「夏っぽいって…例えば?」

シュテルンビルトでずっと暮らしているイワンの思い描いていたそれと、この街で暮らし始める前、実家がオリエンタルタウンにあったというの思い描くものは違うのだろう。
日本の文化が色濃く根づく町で育った彼女が思い描く"風物詩"がなんなのか、日本好きとしても新たな知見を得られる期待も少し含めて、イワンは訊き返した。

「うーん、定番は海とか山? あとは……花火とか」

花火。追いかけるように繰り返して、日本では夏の風物詩だとどこかで見たかもしれないとイワンは思い至る。
花火に関しては、シュテルンビルトでも見られないことはない。ただそれはニューイヤーの年を越した瞬間であったりジャスティスデーのときであったり、それこそHERO TVのMVP表彰式であるとか、記念のイベントごとに結びついているものであって、季節そのものに結びつくわけではない。

「打ち上げもいいけど、やるなら手持ち花火かな。やったことない?」

それも、おそらく「花火=日本の夏の風物詩」を認識したときに同時に知ったもののような気がする。
けれどイワンは情報として覚えているくらいで、(叶うならばかなりすごくそれはもうやってみたいと思っているけれど、)実際にやったことはない。
そもそもの話、それができない理由はやりたいがゆえ、イワンでも知っていた。

「ない。……というか、できない、かな。あっても…」
「あ、そうだ。こっちは法で規制されてるんだった」

の言う通り、"やってはいけない"とされているからシュテルンビルトの夏の風物詩にはなり得ていないともいえたる。
僕がヒーローとして出動するだけでも数々の事件が起きているこの街で、許可なく花火が流布しようものなら犯罪に悪用されることは容易に想像できるから。
手持ち花火の存在を知って、有り余る「やりたい」の気持ちを過去そうやって自身に納得させた理由をイワンが今一度心に唱えていると、顎に手を当て考え込むそぶりでが言った。

「線香花火くらいならいけるか」
「え?」

センコウ花火? って何? とイワンが尋ねるよりも早く、畳み掛けるようにが続ける。
それはまるでアカデミア時代に、旧友である彼が「一緒に夢を叶えよう」とイワンの手を引いてくれたみたいな顔で。

「しようよ、線香花火。一緒に」



---*



夏に取り残されて迷子みたくなっているのは、これといった夏らしい思い出が見当たらないと言うちゃんだけじゃない。
まだもう少し夏もまっさかりの頃のあの日。イワンはそのときを思い返しては、足が止まってしまうような心地をおぼえた。

「あれっ、イワン?」
「えっ」

ようやく真面目に頑張り始めたヒーローとしての活動を終え、そろそろ日付も変わろうかという時間に帰路の途中で突如降ってきた知った声。
イワンがそちらを見やれば、ウエストのあたりでストライプ柄から無地に切り替えされたノースリーブの青いワンピースを着たが、黒いポロシャツでラフな出で立ちの青年を伴って立っていた。
いつもより低い位置で緩くまとめられた髪と、そこから覗く耳に光る滅多につけるところを見ないイヤリング。イワンが普段知る姿よりもちょっとだけ大人びた佇まいのにどきりとしたが、立ち並ぶ見知らぬ彼の存在とあわせてみると一瞬浮かれた気持ちはすぐさま地に落ちた。

「偶然! どうしたのこんな時間に」
「え、えっと…ちゃんは?」

不意の再会に嬉しそうに手を振ってみせるをよそに、イワンの中にぐるぐると疑問が生まれる。いつもと雰囲気の違う服装をしているのはなんでなの、その隣にいる男の人は一体どんな関係の人で、その格好の理由はもしかしてその人なのか。
イワンが絞り出した問いかけの間に、の隣の彼は彼女に向かって小さく投げかける。
「知り合い?」「友達」間髪いれずが返した言葉に、イワンの足は地面に縫いとめられたかのように固まった。紛れもない事実のはずなのに、妙に胸に刺さるのは、イワンがのことを密かに友人以上に想っているからに他ならない。

「私? 私はねー、合コン帰り」

てっきりデート帰りか何かなのかと悪い憶測をしていたイワンにとって、ある意味予想外の答えが帰って来、また別の疑問がイワンの頭を駆け巡った。じゃあその男の人は、合コンで意気投合した結果連れ立っているということ? 渦の中に嵌ってしまったかのように混乱する頭でイワンが発することができたのは、「あっ、え、あの、お疲れさまです…?」という現場を終えた業界のあいさつかのような拙い言葉だった。なにそれ、と快活に笑う彼女は普段通りのはずなのに、このときのイワンにはまるで知らない人のようにも見えた。

「もう遅いんだからさっさと帰りなよー」
「う、うん…」
「じゃ 帰り道気をつけてね」

またね、そう言ってその場から動けぬままのイワンを追い越すようにして去っていくふたりの後ろ姿は、イワンから見てバランスが良く、こういうのを”お似合い”と呼ぶのだと思い至る。
その瞬間、ガラス細工の置物のようにイワンが不器用ながら大切にしまっていた気持ちにヒビが入ったような、気がした。

結局あの後イワンが足元の見えない呪縛から解き放たれたのはふたりの後ろ姿が先の交差点の角に消えていってからだった。
それでも、まるでそこに半身を置いてきてしまったかのように、影だけ未だ地面に縫い合わされて残ったままみたいに、体が引き止められてつっぱる。
今のままじゃ、僕じゃ、追いつくことはできないんだ。
年上らしくこちらの帰りを案じる言葉も、別の誰かのために着飾られた姿も、自分を友達だと語る声も、全部が全部彼女が先を歩いてる証のようで。
その後を追いかけたほうがいいのかも、引き返してなかったことにするのがいいのかも、イワンにはわからないのだった。


自分よりも少し年下の、どこか頼りない、日本好きの男の子。
のなかでおそらくそうカテゴライズされているであろうことは、イワンにもなんとなく想像がついている。
ヒーローとして活動していることを彼女に打ち明けたら、何か変わるのだろうかと思うこともよくある。けれどそのたび、自分のヒーローとしての活躍ぶりも頼りないものであることを思い出し、不甲斐なさにコンプライアンスというもっともらしい言葉で蓋をする。
それに、警察官にしてはめずらしくヒーロー好きを公言している彼女である、折紙サイクロンがどのようなヒーローなのかは、わざわざ説明しなくても知っているはずだった。
見切れ職人。見切れるだけでは終わらないべく、目下努力中。
ネットニュースで小見出しに書かれたフレーズを思い出し、イワンははあ、と息を吐いた。

(…かっこわるいな、僕)

あれから一度だけ、「折紙サイクロン」として事件現場にいた際とに遭遇したことがある。
ここから先は立ち入らないでください。事件のあらましを知りたくて、あるいはヒーローたちの活躍を近くで見たくて現場に集う市民たちを制止する、警官のお決まりのセリフ。
現場ではよく飛び交うなんの変哲もない響きのひとつが、イワンにとって特別な音であったことに気づく。
この声はまさか、と思い声のした方を見れば、見慣れた高く結われた髪と血筋のせいでややあどけなさの残る顔立ちの中で凛と前を見据える厳しさを帯びた瞳。
今まで見たどの彼女とも違う、市民の安全を守るべく、仕事に真摯に取り組む女性の顔だった。
ちゃん。
ヒーローマスクの下、ぽかんと開いたイワンの口の中で音もなく響いた呼び声は、仮面の下のかすかな熱気に溶けていく。

――気付いてほしい。
電子的なフィルターのかかる視界越し、寄せられた眉と祈りのこもったイワンの視線に気がつくものは誰もいなかった。
それはおそらく「ヒーローとしての自分」にとっては、良いことなのだろう。迷いも動揺も奇跡に頼りたくなるような願いも、市民が縋るための偶像には現れないほうが良いのだ。
だけど、ダメだとわかっていても、願わずにはいられない。
立派なヒーローになりたい自分も、イワン・カレリンとして彼女の"特別な何か"になりたい自分も、どちらも本当の自分だ。簡単に諦められるくらいなら、器用にすっぱりと割り切れるのなら、最初からこんなに悩むことなどなかった。
高下駄から影が立ち昇ってくるかのように、迷いがまたイワンをその場に縛りつける。
ついぞが振り向くことのないまま、事件が収束し現場を撤退する指示が出された。影に後ろ髪を引かれるのを感じながらなんとかそこを後にしたのは、2週間ほど前のことだった。



---*



やろうとは言うけれど、一体どこで?
そんなイワンの不安をよそに、は結った髪を揺らしながらどんどん前を進んでいく。
すっかり日の落ちたブロンズステージは、住宅街に立ち並ぶアパートの並んだ窓から漏れる光がおぼろげに道を照らしていた。明るい看板の店舗もなく、街頭が規則的に立って自身の足元だけスポットライトのように白く浮かび上がらせている。
「私の家ここ」と、振り向いてアパートを指差すだったがその足取りが住んでいるという茶色いレンガ造りの建物の前で止まることはなく、すぐ横にある細い路地へと入っていった。
え、と家の場所を唐突に知らされたことと目的地が別であったことに驚いてイワンが声を出すと、は肩にかけていたバッグの中に手を突っ込みちゃり、と金属音を鳴らしながらキーケースを取り出す。
片手で青いキーケースを弄びながら彼女が歩みを止めたのは、ちょうどアパートの裏手、車一台が通れるほどの通りに面したガレージ付きの建物だった。
慣れた手つきでガレージのシャッターの鍵を開けたに「入って」と言われるがままに入ったそこは薄暗い秘密基地のようで、イワンは幼い頃に誰にも知られない場所を探して探検していたときのような高揚感をそっと味わう。
ぱちりとスイッチの音がしたかと思うと、天井から吊り下げられた照明がこうこうと照って二人のいる中を照らし、ガレージの全容をイワンに見せた。
ひときわ存在感を放っていたのは、青く塗装されたものと、黒い車体の2台の二輪車。

「…バイク?」
「うん。アパートのオーナーさんはこっちに住んでるんだけど、ほとんど使わないからって駐車場がわりに貸してくれてるの」

オーナーさんの持ち物は、そこの白いスクーターくらいかな。あとは前に車のガレージとして借りてた人が置いてったままのものなんだって。
語りながら、は設置されている換気扇を回した。元が車用だからか、バイク2台とスクーターを停めてもなお持て余しているようでコンクリートの床がむき出しでスペースを作っている。

ちゃんのは、この青いほう?」
「うん、そう。よくわかったね」

だって、キーケースと同じで、ちゃんが青が好きなのは知っているから。とは、イワンは言わないでおいた。
本人が改めて語ったことのない好みを、こちらから指摘して水を差したくはなかったから。
でも、青が一番好きで、その次に好きなのは白で、それからおそらく僕と出会うちょっと前から緑が好きになり始めたことは、語られなくても知っている。
彼女の身の回りの物や服、極めつけに、手帳に実は挟んでいるんだと気恥ずかしそうにタイガーさんの新旧両方のヒーローカードを彼女が見せてくれたあの日から、好きな理由と一緒に。
こんなものも置いていったらしくて有り難く使わせてもらってるんだよねぇ、とのんびり他人事のように言いながら小型の冷蔵庫から取り出してきた、真ん中にくびれのある細長いポリエチレン容器に入ったアイスは淡い緑色だった。
はそれをぽきりと中央で2つに折ると、はい、と片割れを差し出してきたので、イワンも礼を述べながら受け取る。

これも、夏っぽいことのひとつ、なのだろうか。
もともとひとつだったものを分け合うささやかな連帯感をくすぐったく感じながら、イワンは貰ったアイスに口をつけた。口に入る容器の無機質でいて妙にやわらかな感触と、メインである水っぽく味の薄いメロン味の氷菓。イワンが影をどこかに置き忘れてくる前に半分こしたアイスクリームのほうがどうしたって美味しかったが、人目につかない空間でたった二人共有する味はそれとはまた違う特別なもののように思えた。
アイスを作業がてら咥えているだけのように見えるはガレージの棚からあれこれ引っ張り出し、着々と準備を進めている。水を溜めたバケツをイワンの前に置く頃には、彼女の口にしているアイスはほとんど容器の透明な色だけになっており、レジ袋に入っていた"センコウ花火"らしき包みを取り出すと、代わりに食べ終えたアイスの容器をぽいっと投げ入れた。
ゴミここね、とイワンと自分の間にレジ袋を置くので、イワンも慌てて食べ終えようと容器の下の方を握る。
本番はここからだった。手がしっとりと濡れたのはこれからルールからはみ出す自分たちに背徳感を覚えたゆえの冷や汗か、単に結露したアイスの容器を握ったからなのかはイワンには判断がつかない。
その間には花火を包みから出して、紐のような形のそれを束ねていた紙のテープを破き床に置いたキャンドルに火をつけ立ち上がった。
がさ、と音を立ててイワンがアイスの容器を捨てると同時に再びガレージに暗闇が落ち、蝋燭のオレンジ色の光だけが足元に灯る。
火を頼りにイワンの隣へと戻ってきたはしゃがみ込んで、センコウ花火を2本だけとりそのうち一つを渡してきた。

「持つのはこのひらひらしてるほう。で、こっちに火をつけるの」

薄暗い闇の中で、イワンはそっと目を凝らしてセンコウ花火を見る。持つようにと示された"ひらひらしてるほう"は薄い和紙のようで、端の一部を残して撚られた心許ない紙紐の部分を経て、"こっち"と指差された反対の先端の部分に火薬が入っているのか僅かに膨らんでいた。
イワンの知る花火のどれとも似つかぬ見た目の儚さに、いったいどのような燃え方をするのか想像がつかない。
終わったやつはバケツに入れて。わかった、返すのと同時にが我先にと花火の先を蝋燭の火へと触れさせた。
倣うようにイワンが火の中へセンコウ花火の先端を挿し込むと、の、イワンのと順に小さな火が移る。
火薬をくるむ和紙が静かに焼かれ、やがて端にごくごく小さい火の玉がついたようになる。チッ、と近くで火花が瞬いたかと思うと、ぱちぱちと相次いで線の細い火花が火の玉を覆うようにきらめいた。

「わ、」

初めて見る輝きに、イワンは素直に感嘆の声を上げた。
上空に打ち上がったりするような、派手な輝きの花火ではない。炎色反応を利用して彩られてもいない、元来の「火」そのものの色。あたりに響くのもほんのかすかな音だけで、街中では聞き逃してしまうであろうほどの響き。
ある程度火花が瞬いたかと思うと、最初の小さな火の玉に戻って、震えるように揺れた後そっと地面に落ちた。
ひと足先に火が落ちたらしいはバケツに花火を入れ、じゅうと音を立てて燻る熱を消しながら「どう?」とイワンに尋ねた。

「……きれい。すごく…」
「そっか。ならよかった」

前に実家に戻ったときに買ってから時間経って湿気ちゃってるかもと思ってたけど、大丈夫そう。場所がちょっと風情に欠けるけどね。
はそう困ったように笑うが、とんでもない、とイワンは思った。
やりたかったことを体験できているだけでもありがたいというのに。彼女は風情に欠けると言うが、住宅街の生活感のある光や街頭の無機質な光が届く外よりも、キャンドルの光だけが辺りをやさしく照らすこの箱庭みたいな暗闇のほうがきっとこの花火は美しく見える。市街から見上げる星空で等級の大きい数字が埋もれて見えなくなってしまうみたいに、輝かしいところではセンコウ花火はきっとその魅力を発揮できない。
ワビサビ、という言葉はこういうときにも使うのだなと、理解しきれていない異国の思想へ思いを馳せながら、イワンは2本目の花火を手にとった。

「夏も終わりだ」

自身の手元の花火を見ながら、はそう呟く。
夕方と同じくオレンジの光に照らされる横顔は、どこか優しげで、何かを懐かしむような、それでいて何かを諦めた色を帯びていた。
ちゃんは、何かを諦めたのだろうか。夏が終わってしまうことを? 花火が消えてしまうことを? それとも、もっと別の何かを?
僕も夏の終わりとともに、何かを諦めるべきなのだろうか。どうにもならない願いのことを。夏の夜に置いてきた影たちのことを。ちゃんへの想いのことを。
そう思うと、先ほどはどこかかわいらしく震えていた消える間際の火の玉が、零れ落ちるのを堪える涙みたいにも見え、ぽとりと溢れた。

「……もう、思い残したことはない?」
「うーん、どうかなあ。そういうのって、後になって気づくものだから」

笑って、は最後の1本を手にとる。もう最後だ、イワンは? 訊かれて見やれば、イワンも最後の1本になっていた。
僕も。名残惜しさが思いがけず声に滲む。もともと少ない本数を二分したからか、あっという間にささやかなイベントの終わりが見えた。

「最後はお願いごとしよう」
「お願いごと?」
「線香花火の火が落ちずに消えたら、願いが叶うかもしれないんだって」

流れ星が見えたら落ちる前に3回願いごとを言うみたいに、ミサンガに願いを込めて自然にすり切れるまで使うみたいに。
なんてことのない、よくあるジンクス。優柔不断な常からは珍しく、イワンが叶えたい願いはすぐ定まった。

「…うん、わかった」
「よし、じゃあどっちの火が残るか勝負ね」

勝負なの!? 願掛けに徹しようと思っていたイワンは上ずった声で返しながらも、降って湧いた勝負に受けて立つべくと同じタイミングで花火を灯す。
じりじり、しゅぱしゅぱと刹那的に弾ける閃光を見つめながら、そっと願った。

――いつか、ちゃんが気づいてくれますように。

眩い中では目立たなくなってしまうであろう儚い光に自分を重ね、イワンはの顔をじっと見つめる。
伏せたまつ毛から覗く瞳に、瞬く火花が映ってきらきらと輝いていた。きれい。誰ともなしに口をついて出た。
うん、きれい。ちゃんは花火を見て呟く。そうだけど、そうじゃないんだけどな。それにもほんとうは、気づいて欲しい。
するときらめく目に映る光の玉がふっと落ちた。
あ。
声が重なる。手元も同時に暗くなり、ろうそくの光だけが残って揺らめいた。
ぱっと顔を上げたが、イワンの顔を見て悔しそうに顔をしかめる。

「負けた」
「え?」
「イワンの落ちないで消えたじゃん」

言われてから下を見れば、落ちた火球の姿が確かにやった本数よりひとつ足りなかった。
決定的な瞬間を本人が見逃していたものの、ジンクスが本当なら願いごとが叶うらしい。そんなの、気の持ちようであることは、イワンにもわかっているが。
――気づいてくれるのかな、いつかは。
本当に叶ってくれればと、思わずにはいられなかった。
彼女が気づいたその先が、どう転ぶかは正直わからない。またこの夏みたいに、迷わないとも限らない。けれどわからないからこそ、どうなるか知りたいのだ。
たとえその想いが受け止められなくとも。


「願いごと、叶うといいね」


はそう言って、イワンの目を見つめながら眩しいものを見るようにしずかに笑う。
花火が消えてもその瞳は夜空みたいにきらめいて見え、イワンは蝋燭に揺られるぼんやりとしたの影に、願いごとと一緒に置いてきた自分の影が溶けていくのを感じた。