※「アンドロメダを迎えに」「ペルセウスがそばに」の前日譚
※主名前しか出て来ないので実質夢かは不明














曰く、初恋は実らないものだと言う。

業績と株価のをチェックするのが何よりの楽しみである竹中半兵衛という男にとって、その言い伝えは定説と呼ぶには数字の根拠に乏しすぎる仮説にしかすぎなかった。
そもそも"恋"などという感情に起因する理論を数で現すのが土台無理な話であることも半兵衛はおおむね理解はしているので、ただの与太話程度にしか思っていない。
第一、彼にとっての一番の親友が"初恋"を実らせている例がある以上、その説が偽りであることを証明している。
「確かにそうだけどさあ」
そっちのほうがレアケースなんだって。
その"実例"と同じ人物を親友に持つ共通の腐れ縁の知人、慶次は納得いかないという様子で不貞腐れた声をあげる。
互いの親友である秀吉の用事が終わるのを待つ間、仕方なしに向かい合わせでコーヒーの席を同じくしていると、手持ち無沙汰ですと顔にありありと浮かべながら慶次は半兵衛に喋りかけた。
自他問わず恋だの愛だのの話題に年中――といっても学生だった時分より随分落ち着いたが――興味津々な慶次がこの手の話題を振ってくることは珍しくない。(秀吉とその恋人であるねねの仲睦まじい様子を見た後は、特に。)
そしてまた恋だの愛だのの話題にいつでも興味を持てない半兵衛が、慶次の話を冷たくあしらうのもまた、珍しいことではなかった。

「でも半兵衛も長い初恋みたいなもんだしなぁ」
「……はぁ?」

同意を得るのを諦めたかのような、元々対極の意見であることを思い出したかのように慶次から突如投げかけられたその言葉に、理解が及ばず半兵衛は頓狂な声をあげる。
何を言い出すかと思えば。
初恋?誰が?
「誰が」については慶次の言葉通りであるはずだが、当事者である半兵衛自身が「初恋」に思い当たりはない。
親兄弟や友人に向ける親愛の情については、ある程度存在を理解している。
もっとも半兵衛に兄弟はおらず、それに似た情はもっぱら幼い頃から隣家に住むひとつ年下の幼馴染に向けられていたのだが。

「嘘だろ、まだ相変わらずのままなわけ?」

理解が及ばない、と書いてある半兵衛の顔を見た慶次は呆れたように頬杖をつき、手慣れた様子でカスタムし尽くしたフラペチーノの残りを啜った。
そんな慶次の言う"相変わらず"――という言葉には、心当たりがない訳ではない。
彼が半兵衛と会うたびに「最近どうなの」と聞いて話に出すのは、ほとんど決まってかの人の名前である。

ちゃんしかいないだろ、お前の交流続いてる女の子なんて」

。幼い頃から共に育ち、ひとりっ子である互いを兄妹のように想ってきたはずの幼馴染。
それが自身の初恋だと言い切る慶次に、見当違いだと反論すべく口を開きかけたところで、待ち人たる巨躯なる友人が現れたため、半兵衛は開いた口でその名を呼んだ。

「秀吉」
「すまぬ。待たせたな」

頬杖の姿勢から少しばかり上体を起こした慶次は、半兵衛の隣に座る秀吉に先程の話の続きを振ってみせる。

「聞いてくれよ秀吉、こいつあんだけちゃんしか眼中にない癖に進展どころか自覚すらないってよ」
「ちょっと、慶次君…!」
「あ、ああ…その話か。我も会社での様子はある程度は見ているが…」

根も葉もない話を吹聴されてはたまらないと半兵衛が慌てて口を挟もうとするが、話を振られた親友はやや戸惑いながらも慣れた様子で返したので半兵衛も開いた口が塞がらない。

「秀吉、君まで…」
「いや、もう気付いてないの当人だけだし。さっさと良い仲になっちまえばいいのにって随分前から言ってたんだぜ?」
「…うむ…。近頃は慶次が痺れを切らしてお前にも様子を訊いていただろう」

自分のいないところでどうやらその話題に花が咲いていたらしいと気付いた半兵衛は、こめかみを押さえて息をついた。頭が痛むような心地さえする。
慶次君だけならともかく、秀吉まで。
おそらく慶次が会社での2人の様子を問うては、秀吉が見たありのままを報告していたのだろう――かつて悪戯っ子であった彼らの変わらぬ連携っぷりに呆れるべきか――しかも慶次には野次馬根性というか冷やかしの類の好奇心が混ざっていれど、秀吉においては純粋に親友とその幼馴染の仲を案じてのことであるのは想像に難くないが故に、端から無下にもできない。
とはいえ、彼らの望むようなことは起きえない理由がひとつ半兵衛には――正確には相手とされている彼女のほうにあった。

「そもそも進展も何もないだろう。あの子には交際相手がいるんだし」

には、大学の終わりから付き合い始めた恋人がいる。 いくら半兵衛が小中高と学び舎を共にした幼馴染とはいえ、大学では道を分かったし、たったひとつの年の差はつい数年前まで学生だった自分たちには大きいもので、それぞれ別のコミュニティを持っているのだから恋人ができることは珍しいことではない。
それは半兵衛も同じことで、幼馴染の彼女と共有するコミュニティがない折はそれなりに女性と名義だけの関係を持ってきたりもした。(結局のところ、何も得るものはなかったので時間の無駄だったと今でも思っている)

「その割には逐一誰と付き合ってるかって把握したがってたじゃん。あれは何だったんだよ」
「あれは…妹分に変な虫がついてないか確かめてただけだ」
「あーそうだったな? 変な虫だと思ったら裏から手ぇ回して追い払ってたもんな?」

半ば言い争うような応酬を繰り広げる2人におろおろと交互に視線を送った後、秀吉は遮るようにひとつ咳払いを落とす。
慶次と半兵衛が言い足りなさげに渋々矛を収めると、少し安堵した様子の秀吉が隣にいる半兵衛に真摯に告げた。

「…ともあれ。半兵衛よ、改めて考えてみてはどうだ。己の気持ちを」
「考えるって言っても…」
「お前は賢すぎるが故に、小難しく考えすぎるきらいがある」

うんうんと、秀吉の言葉に大きく頷いて同意を示す慶次を視界の端で認識しながら、半兵衛はその進言を受け止める。


「もっと単純に考えれば良い、お前がこの先も側に在って欲しいと思う女性が誰なのか」



男女の仲、と呼ばれる関係について半兵衛が知っていることといえば、その間に恋だか愛だかの情が存在しているということである。
両親しかり、親友とその恋人しかり、幼馴染の彼女の――これまでの彼氏しかり。
恋愛そのものには以前から興味がなかったが、"男女交際"という形式だけは、たとえ情がなくてもできる。
それは実質本人間の口頭契約に過ぎないからだ。付き合ってください、という申し出を承諾さえすれば"恋人同士"という形式だけは成り立つ。
そのおぼろげな契約関係の先に人が何を見出すのかは興味があり、2つ年上の女性からの懇願に初めて「いいですよ」と言ったのは高校1年の初夏のことだった。
同じクラスや学年にそういった間柄の相手をつくるよりも、学年が違うほうが後腐れがなくて都合がいい。3年ともなれば、1年と経たずに学び舎からいなくなる。
相手が大体において求めてくるものは、肉体的な接触と、この関係にあって得られるいくつかの優位性だった。
自分には恋人と呼べる相手がいる。他の友人の恋人よりも頭が良い、容姿がいい。まるで虎の威を借る狐だ。なんてくだらない。
反対に半兵衛自身が得るものは何もなく、続けていてもメリットが見い出せなかったためその関係にも早々に飽きた。
仮初の恋人に時間を費やすよりも、受験を控えた幼馴染の勉強を見てあげるほうが有意義だった。
別れを切り出すのは自分であることも、関心を得られていないとわかって見切りをつけた相手の方であることもあった。
時には半兵衛が優先していたのが幼馴染であると知って、逆上される場合もパターンとしては存在した。

――あの子と私、どっちが大事なの。

初めてその言葉を耳にしたとき、半兵衛はなんと滑稽な問いだろうと思った。
出会って半年にも満たないような赤の他人と、少なくとも義務教育の期間以上は近くで育ち過ごした幼馴染は比べるまでもないからだ。

――そりゃあ、あの子のほうが大事に決まっているだろう。

そう返せば、大抵は目を吊り上がらせてその場を去っていくか、ひどいときは平手打ちを食らうこともあった。
理由を聞く聞かないに差はあれど、その後の反応については似たりよったりである。
どの相手の顔も名前も今となっては覚えてもいないけれど、順調に中学時代から同じ相手と交際期間を重ねていた親友から心配そうな顔を寄越されたのは覚えている。

思えばあの時から、(慶次曰く)"良い仲"となる相手はではないのかと、秀吉も――そして慶次も考えていたのではないか。

『この先も側にあって欲しいと思う女性が誰なのか』

そんなことは、とうの昔からわかりきっていたことだったのだ。



――終電、寝過ごして終点まで来ちゃった。迎えに来て


からそうメッセージが来たのは、2人の友人に発破を掛けられて数日後のことだった。